2011.06.09
ほたると繋(kei)展
森 紘一

新横浜駅に程近い「鶴見川流域センター」は、国際サッカー場の「日産スタジアム」に隣接している。周辺は鶴見川多目的遊水地とよばれ、鶴見川が氾濫した際には広大な貯水池となる。平時はテニスやサッカー、野球場などが一般市民に開放されている。

その鶴見川流域センターで6月4日(土)、蛍の話しを聞き、さらに多目的遊水地で蛍が観察できるというユニークな会合があった。講師は現役の高校教師で、偶然生徒が持ち寄った蛍に魅せられ観察と成育を重ね、今では蛍博士と呼ばれている。

それにしても、放流されたという5000匹の幼虫が新横浜の遊水地に棲息し、ひかえめに光を放ち舞うさまには感激した。マキガイとやわらかい水辺の土、暗闇があれば蛍は宿るということをあらためて学習した。

昨年7月初旬、豊実へ出向いた雨あがりの夜、アート展会場の田んぼに蘇った蛍に感動して以来だった。あの時、自然の生態系を呼び戻そうと始めた我われのビオトープづくりの成果に仲間と祝杯をあげたものである。

豊実でも、そろそろ蛍の乱舞が見られる頃だろうか。蛍は、平穏なくらしを営む日本人の心象風景には欠かせない夏の風物詩である。できることなら、石巻や東松島の皆さんにコスモ夢舞台の蛍もご覧いただきたいものである。

この夏、我われのビオトープづくりは、佐藤さんのいう田んぼ夢舞台公園の完成へ向けて踏み出すことになった。蛍は我われの希望の灯りでもある。

里山アート展は、今年で8回目となる。初回から参加されている造形作家・間地紀以子さんの東日本大震災支援と銘打った<繋(kei)>展が銀座で開催(6/6〜11於画廊「るたん」)されていた。

6月8日(水)画廊に間地さんを訪ねた。いつものにこやかな微笑みで、間地さんは淡々と語りはじめた。あの3月11日は、ネパールの秘境で現地の子どもたちに絵を描く面白さを教えていたが、日本の震災を知り驚愕したという。

壁に掛けられたハート型の大きなパネルボードには、来場者のメッセージが書き込まれた小さな色とりどりのプラスチックのハートが全面に貼り付けられていた。

赤い小さなハートとシェイクハンドのイラストに“We are with you!”と英文字のプリントされたTシャツが頒布されていた。わたしも同僚のMさんも義捐金に廻されるというTシャツをそれぞれに求めたが、すでにかなりさばかれている様子だった。

支援にもさまざまな方法や形がある。そのすべてが、あらゆる壁を超えて、人とひとの素朴な繋がりで結ばれていることを、あらためて素晴らしいことだと思う。

ところで、それまで失念していたのだが、そもそも稲刈りの済んだ田んぼを舞台に野外作品展を開くことになった原点は、この画廊「るたん」にあった。

8年前、間地さんの個展とトークショウがあり、終了後の打ち上げで集まった席で豊実の里山アート展を佐藤さんが決めたという経緯があったのだ。

 話がそこに及んで、画廊の中島オーナーも「今年は、ぜひ豊実の里山アート展に出かけないわけにはいきませんね」ということになった。

まさに、人とひとの繋がり、ご縁の大切さとは楽しく不思議なものである。