2010.06.01
ギリシャ旅行報告2
坂内克裕

 ギリシャ旅行のこぼれ話を3件まとめてみました。

1 景子カテリーナ女史

  出発前に参加者に連絡があり、通訳は「ギリシャからの手紙」に登場したキキさんではなく、同じマリソル社の景子さんに変更になったこと。彼女は、NHK世界遺産ギリシャ編の通訳兼ディレクターを務めたというベテランで、日本の麺類が大好物なので各自一点お土産を持参するようにとの指示がありました。

  現地でお会いすると、ギリシャに43年住んでいるとのことで、口癖は「紀元前500年からギリシャに住んでいる。だから私の歳は2500歳。」というもので、容貌もそれに相応しく、白髪交じりの肩まである総髪で小柄、黒っぽい服装にサングラス。しわを刻んだ丸顔にやや鷲鼻でへの字の唇。帽子付きマントにほうきを持たせれば直ぐにも空を飛びそうな雰囲気でした。ギリシャの解説はすべて頭に入っているようで、アクロポリス遺跡やオリンピア遺跡について、それぞれ事前にホテルのロビーで受けた説明は講義のように充実したものでした。でも、さすがに長くギリシャに住んでいるせいか日本語の熟語や慣用句は忘れたらしく、私たちのことが載った地元の新聞記事を翻訳する際には、「こういう意味は日本語でどう言うんでしたか?」と、易しい言い回しで確認することが幾度かありました。

  彼女は話好きで、オリンピアからアテネへ戻る朝、早々と朝食を済ませてホテル脇で公共バスを待つ間も、数人に囲まれてタバコ片手に話し込み、乗るべきバスをやり過ごしてしまうということがありました。彼女が携帯電話を駆使して調べた結果、幸い次のバスに乗り込んでも中継地点での高速バスに乗り継ぐことが出来て、大事には至りませんでしたが「血圧が倍にも上がった」とおどけて言っていました。そこで、途中休憩のドライブインで、一人テーブルに座っている彼女にいたわりの言葉をかけると「あまり話しすぎて喉が痛い」と言います。私はショルダーバッグの中をかき回しのど飴を差し出し、ついでに未開封だった乾燥梅干の袋を見つけて取り出すと、彼女は「わぁー」と叫んで飛び付き、バスの中では頭上に高く掲げて「誰か欲しい人いる?でも、あげない!」などとまるで遠足の少女のようにはしゃいで、立て続けに3個も口に入れているのでした。日本麺好きといい、日本の味がやはり恋しいのでしょう。

 2 ヘルメスのお尻

  オリンピア博物館には古典期芸術の傑作として有名な「赤子のディオニソスをあやすヘルメス像」がありました。佐藤さんが「ギリシャからの手紙」の中で、「私は女性の裸ばかり美しく感じていたが、初めてこのヘルメスの像に美しさを感じた。それは後姿であった。」と書いているそれです。

  それで、時間をかけてよくよく見れば、確かに鍛え抜かれた筋肉と均整のとれたお尻は、これ以上なく写実的で理想の美に昇華された裸体でした。いったいどうやってこれほどの見事な裸体を表現することができたのでしょうか。 その答えは、景子カテリーナ女史の講義の中にありました。

  古代オリンピックは、男性だけが出場し、それも全裸で競技をしたのだそうです。そして観客も男性のみ。芸術家は、出場選手の鋼のような肉体とその美しい動きを存分にスケッチすることが出来たというわけです。

3 今回のギリシャ訪問の成果

  今回の訪問の成果としては、次の3点があげられると思います。

①      地元メディアに大々的に取り上げられ、その記事の載った新聞3紙を持ち帰ることができたこと。

② リオシス氏から、アマリアーダ市内に新しく建設中の両側歩道付き道路の中心地に、新しくモニュメントを彫刻してもらいたいと賢太郎氏に依頼があったこと。(この道路には、現在、他の場所に仮置きされている「欧州文化首都パトラス2006参加の他の作品」も各所に配置される予定だそうです。)

③      そのモニュメントが完成した暁には、そのモニュメントを配した公園を日  ギ友好公園と名付け、佐藤賢太郎氏をアマリアーダの名誉市民にしたいと申し出があったこと。

このほかにも「ギリシャからの手紙」をギリシャ語に翻訳する話も出て、今回の訪問は大成功だったと言えましょう。

折りしも今年は、コスモ夢舞台がNPOに脱皮するとのこと。佐藤さんの口癖は「人は動くことで感動が得られる」というもので、コスモ夢舞台はその佐藤さんの機関車のような行動力が、友人知人を巻き込んで牽引してきた結果だと思います。今年はそれがNPO法人化して間口を広げ、いっそうの発展を目指すということでしょう。今回のギリシャ訪問の成果は、このNPOへ多くの方々の参加・協力を呼びかけるのに大いなるPR材料になるものと思われます。

また、日本国内での、彫刻家佐藤賢太郎氏の評価を高めることにも役立つでしょう。とにかくあらゆる機会をとらえて、多方面に周知する必要があります。

 ただ残念なことは、アテネでの最後の日の午後、市街散策と買い物に時間を潰してしまいましたが、日本大使館を訪問して今回のアマリアーダでの成果を報告すべきだったのに忘れてしまったことです。マリソル社の前で解散して自由行動になってからこのことに気が付いたのですが、佐藤さんと離れてしまって後の祭りでした。夜になって佐藤さんにこのことを話すと、本人も前回は観光予定を変更してまで大使館に行ったので、とても残念がっていました。

 幸い、来年にはまた佐藤さんは、リオシス氏の要請に応えてモニュメント制作のためにギリシャを訪れる予定のようなので、その機会には必ず日本大使館に報告に寄りたいものです。なにしろ、ギリシャの地方都市とは言いながら、日本人彫刻家が二度も招かれて作品を制作し、日ギ友好公園や名誉市民の話まで出てるのですから、外務省も知らなかったでは済まされないと思いますので。