2013.034.05
カマルグ紀行7
佐藤賢太郎

   さて、カマルグ紀行も最後になりました。

27日、千晴さんに乗せて頂き、一路事務所に向かった。途中、塩田などを見せたいと言っていたが時間が無くなり、アルルに立ち寄り買い物をした。申し訳ないと千晴さんは言っていたが、「そんなことはない、塩田など観光地を見られなくとも、普段のフランス市民の生活を見ることの方がずっと良い。できれば千晴さんの住む田舎でぶらぶらしたかった」と私は言いました。

千晴さんは大家さんの娘さんをニースまで送ることになり、一緒に車でニースの駅に寄った。大きな立派な闘牛場のそばを通り抜けた。この街は歴史が古いのだが、アルルとは違い新しい建物が多い街であった。 

お別れの晩さん会は、私たちのために心尽くしの特別な料理をこしらえてくださった。といっても、決して贅沢なごちそうではないのだが、私たちはおいしくいただいた。磨家浩之さんは私たちと別行動でしたが夕食は一緒にする予定でした。しかしいくら待っても磨家さんは来ないので私と美濃輪さん、フランソワ‐ズと夕食を食べた。予定の時刻は過ぎどうしたのか心配になった。やっと見えた。フランス通の磨家さんは道が間違ったりして焦ってしまったらしい。私たちに申し訳ないとがっくりしていたようで、のども通らないので食事もしたくないと言っていた。かなりショックだったのだろう。彼にそういう一面があってよかったと思いました。

翌朝7時フライトということで、空港近くのホテルに送って頂いた。部屋はそれぞれ違っていたので朝5時ロビーで集合の約束をした。私は5時近くに目が覚めて慌てて準備した。

彼らがいてくれるので乗り換えも心配なかった。28日、ローマで6時間の待ち時間があった。ここで反省会をすることになった。カマルグで田んぼアートが開催できるかどうかは定かではないが、私たちが行ったことでプロデユースするフランソワーズさんが動く原動力になったことは確かである。

磨家浩之さんは契約書つくりや通訳など多大な働きをしました。後はフランス側の取り組み如何によると言うことでした。私の里山アート展や田んぼアートについての考え[自然との共生、人と人の共生、人と生き物との共生]については、磨家浩之さんがフランソワーズに通訳して伝えたと言います。

美濃輪朋史さんも専門農業者としての存在感があった。彼は大学を出たが実家に戻り、造園と面白い農業をしようとカルガモを使って無農薬のコメを作っている。これはなかなかできないことです。そして控えめであるが、夢を実現したいという若者である。 

ここで面白い話があった。磨家浩之さんはフランス語や英語の話せない私をうまく利用していたというのです。紹介では年長の私の時間を一番長くとったそうです(本当かな?)。フランソワーズが今日の予定を言うと、磨家浩之さんは「我々のチーフは佐藤さんで、彼に聞いてみないとわからない」そう言って、私に日本語で「佐藤さんどうします?」とその都度聞いていたようです。そして適当に「佐藤さんは疲れているようだとか、そのことに納得している。」などと通訳していたとのことです。

食事にしてもその辺のコンビニで済ませられてはたまらないので、「佐藤さんの満足するような食事にしましょう」とまで言っていたようです。だから難しい顔をして腕を組んで黙っているだけで役を果たしているのです。こちらは全然分からなかったのですが、彼はなかなか有能なやり手でした。 

6時間の待ち時間は、私はなめる程度だったが、ワインをガンガン(?)飲みながら、自分たちの住んでいる千葉県の山武市を楽しいところにしようと語っていた。そして、町興しに佐藤さんのような方に山武市に来てほしいとも言っていた。

私たちの共通点は、大学卒業後、経済性優先ではない生き方を求めて歩んでいることである。彼らの夢の実現はこれからであるが、希望がもてる。37歳にしてEU・ジャパンフェスト日本委員会からこうした機会が与えられたことも幸いである。私は50台になってですから。彼らと私の違いは、彼らは語学ができ実務もできる、私はそれがないけれど素晴らしい友がいる、これが財産である。そして仲間だけでなく、EU・ジャパンフェスト日本委員会のような存在とも接点があり、人生を豊かにしてくれている。また、今の大学生にも私の生き方に興味を持っていただきつつあること。あるものだけで夢が実現している。ただ、公にあまり知られていないだけである。幸せとは仕合わせである。ガンになっても人生で今が最もシアワセな時かもしれない。

フランスで田んぼアートが実現するかどうかは分からないが、私は里山アート展開催10周年記念に稲で絵を描く小さな箱庭の田んぼアートを実施します。ともあれ、こうして新しい人間関係ができたことが収穫であった。EU・ジャパンフェスト日本委員会のみなさま、磨家さん、美濃輪さん、千晴さんありがとうございました。

再度、フランスに行くことができたら幸いです。

29日夜9時自宅に着いた。待っていた母と家内は無事に帰ってきてくれてよかったと言っていた。磨家さんは愛情いっぱいの顔でのさんが成田に迎えに来てくれた、今にも抱き合いそうでした。いいですね若いころは。私もそういう女性がいてほしいものです。90歳になる母は「お父さん(佐藤賢太郎)が無事で帰ってくるように、お母さん(佐藤マキ子)仲良くしていたからね」とニコニコしていたのが嬉しかった。磨家さんと美濃輪さんは私が元気なので驚いていた。私たちが60歳になったら佐藤さんのように動けないだろうと言っていました。ガンになって初めての渡航でしたが自信がまた付きました。今回は食事や荷物も届かなかったり、フライトの乗換などの体験は一人でギリシャに行くよい準備になりました。