2009.08.10                     
リトアニア紀行4                       
佐藤賢太郎

7月12日、昨日夕食のとき松本さんが教会は良かったと言っていたので、私も行ってみたくなり、朝食を済ませてから市内見学にぶらぶら出かけてみた。2時間ほどあちこち歩いてみた。

きれいな建物もあれば、放置されている家屋もあった。新しい街はきれいで、私の泊まっているホテル前の朝通勤姿とは別の都会の顔を見た思いであった。石畳があり、外から見るとわからないような造りで、駐車場がドームをくぐって中庭にあるのがとても珍しかった。

ビリニュス市内には隣から隣とすごくいっぱい教会が建てられていた。まさかこれが実際に今も使われている教会だとは思ってもみなかった。

暑くなってすこし休みたくなったので、10時半頃、宿泊しているホテルの目の前にある教会に入ってみた。私は日本で結婚式に招待されたときは別として、ミサをしている教会に入ったのはこれがはじめてである。私のような観光客が入っていいのか少しためらった。

三々五々人々は集まり、教会内は人で一杯になった。教会に入ると、みんな床にひざをついて礼をし、敬虔であった。説教が始まり、歌がはじまると、教会の高い天井に反響してその声は美しかった。そして寄付集めがあった。

写真を撮ってもいいのかためらったが、終る頃遠慮気味に写真を撮らせていただいた。ヨーロッパにはこうした敬虔な気持になる教会があるのに、なぜ争い殺しあう時代があったのだろうと思ってしまう。

ミサが終ると教会の出口は人であふれた。人々は、きっとあちこちから集まってきた人たちなのだろう。こうしてあちこちにある教会も一杯なのだろうと思うと、国民のほとんどがキリスト教を信仰しているのだろうか?ともかく日本人とは違い信仰する対象をもっていることである。

他の教会を覗きたくなった。もっと立派な教会の中は、どんな様子だろうかと好奇心で入ってみた。ここは観光客も入って写真をパチパチ撮っていた。街全体に中世時代の建物がそのまま残っているので、世界遺産になっているといわれる意味がだんだん解かってきた。それにしても、日本の建物とは違うものの、日本の街中に中世時代の建物がそのまま存在しているところはまずない。

またぶらぶらしながら、昼食するところを探し歩いた。注文するのも面倒でコーヒーだけにして店を後にした。すると「佐藤さぁん」と日本語で声を掛ける人がいた。見ると古木修治さんとHさんであった。こんなところで会えるとは嬉しかった。古木さんたちは米子少年合唱団の出迎えや、EU・ジャパンフェスト日本委員会の実行委員長の出迎え、これからの公式行事の準備と忙しく動いていたようである。

海外でこうして古木さんたちと食事を共にするのは始めてであった。古木さんに「何か見ましたか?」と聞かれ私は、「KGB博物館を探しに歩いたのだが見つからなかった」と言った。それでは一緒に「見学に行きましょう」ということになった。その建物にたどり着くと、さっきこの前に立ってリトアニアの方に聞いたのに解からなかった場所だった。

中に入り見学すると重い空気が流れていて陰惨なロシア時代の暗いものばかりだった。リトアニア人は祖国を守ろうと戦って多くの人間が死んでいったのだろう。独房やガス室などの遺物や当時の写真などそのまま展示されていた。見学し終えた誰もが重い気持になってしまう。自己中心の人間の欲望がこうして殺戮を繰り返したのだろうか。これは、一つのイデオロギーが支配した結果であろうか。

帰りに冊子を買って、タクシーで古木さんたちの泊まっているホテルで降りた。そこで、三菱重工の会長さんご一行と出会い、古木さんに紹介していただいた。簡単な挨拶で別れた。

30分後、日本大使公邸の夕食会に招かれて、そこに私も行く予定になっていた。準備のために自分のホテルに向かったが、ここでアクシデントが起こってしまった。私の財布がなくなってしまったことに気がついたのです。全財産7万円がなくなり、幸い3万円とパスポートは残っていました。リトアニアについてまもなく大変なミスをしてしまった。外国旅行ではじめての経験であった。

Hさんが気遣って、別れたばかりの古木さんを電話で呼び出してくださった。すると、これからKGB博物館まで一緒に探しに行こうと言うのです。「いいです、もう見つからないから。それにまもなく大使公邸での夕食会もありますから」と断ったのですが古木さんはタクシーを呼んでくださいました。現地でもその周辺でもやはり見つかりませんでした。前のタクシーに落としたのでないかと、問い合わせたのですがありませんでした。

母やふくろう会の友人から餞別をいただいたもの全てがなくなってしまいました。古木さんから、気を落とさないようにと言われましたが、笑顔で「大丈夫ですよ」と応えました。こんなことで青くなったのでは古木さんをがっかりさせてしまいます。これから公式行事参加が始まるところです。
   後日談ですが、帰国して落し物の話をすると、大使館に届けたかと聞かれましたが、「これから大使とお会いして同行する時に、そんな心配をかけられませんでした」と答えました。

おそらく日本で落としたらがっかりしたでしょうが、リトアニアで貴重な体験をさせていただいていた最中ですから、そんなに気になりませんでした。「リトアニアの教会に寄付しました」正直そんな気分だったのです。