20089.08.13
リトアニア紀行7
佐藤賢太郎
2009年欧州文化首都にビリニュスが選定され、各地で音楽祭やアート展等が開催されている。その一つが「国際青少年音楽祭コンサートinビリニュス」である。日本もEU・ジャパンフェスト日本委員会の推進によってそこに参加した。
会場は聖キャサリン教会で、そこに私たちも足を運んだ。日本、アイルランド、リトアニアの少年少女が聖キャサリン教会で合同コンサートを行なうのです。天井の高い教会の椅子に座ると、日本の米子少年合唱団が歌い始めた。
合唱団は小学生から中学生までの構成だったが、はじめに感じたのは、失礼ながらあんなに小さな体で声が出るのだろうかということだった。しかし彼らの歌は教会内に反響して素晴らしかった。
その後にアイルランドの合唱団、最後にリトアニアの合唱団が歌った。彼等はみな、日本人に比べて大人のような体であるがそれぞれ素晴らしかった。
このコンサートの目的は何処が一番と競い合うことではなく、お互いの親善交流にあることは言うまでもない。先にも言いましたが、音楽は外国との交流を進めるうえで、他のアート展示などよりも言葉の壁を超える意味では早いのではないかと感じた。
日本の少年合唱団たちにとっても、この夏の体験は素晴らしい思い出として残ることだろう。彼らはこの経験を元に、これから先、どのような国際交流を進めていくことになるのか楽しみである。
私はこの後、西会津に滞在したキャスタスさんと夕食を共にするため、少し早めに会場を後にした。
彼とは英語もそんなに通じなかったが、4年前、我家にお出でになり付き合いがあったので懐かしかった。彼も私も、お互いにほんの少しの英会話だが、あちこち狭い路地裏にも入って案内してくれた。
有名なモニュメントや、最も古い教会なども教えてくれた。そして、たどり着いたのはリバーサイドの行きつけの店だった。なかなかいいところだった。ビールを飲みながら片言の英語で食事をしたが、何だかギリシャのときのような感じがした。
キャスタスさんは、首都ビリニュスからかなり離れたカウナスに住んでいる。それをわざわざ私に会うために、遠路バスで写真展にやって来てくれた。帰りはどうするのかと聞いてみたら、良く解からないがどこかに泊まるようだ。
私は明日カウナス市長を表敬訪問し、杉原記念館にも行く予定になっていることを彼に伝えた。
彼は30代後半の作家で生活も大変だろうと思い、私が支払いをしようとすると「ここはリトアニアだから私が払う」と固く言い、支払ってくれた。その上、ホテルまで私を送ってくれたが、その後、バスもなくどうしたのかとても心配だった。
丁度この時間帯に、アウトゥーラスさんたちが私に電話をくださったそうです。どこかで乾杯しようと、お誘いの電話だったそうで本当に申し訳なかった。
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