2010.04.18
リオシスとの再会
佐藤賢太郎

3月28日(日) バスは一路パルキ港に向かった。風の強い寒気のする中、出迎えてくださったのは、副市長リオシス氏と同市長パシリス氏であった。そしてテレビ取材と新聞各社も待機していた。きっとリオシスさんの手配であろう。彼は感動一杯で私たちを出迎えてくださり、とても嬉しかった。4年前のお別れの時とちっとも変わらない信頼に満ちた笑顔であった。彼は皆さんに彫刻を作った経緯、ゴルゴーナの意味するところをギリシャ語で話した。それは彼が私と共同でこの作品を作ったと言っているようであった。それはもちろん嬉しいことでもあった。もちろん景子さんが日本語にして通訳してくださった。

記念撮影を終え、秘書のバジリスさんは、かつて私が悪戦苦闘して仕事をしていた場所にバスを向け、その場所へ案内してくださった。皆さんは、彫刻を作った工房の前がビキニの美人が行きかった場所と知り、またあらためて美しい海に見とれていた。

さて歓迎会会場はレストラン「アヒリオン」であった。かつて来る日も来る日も食事をしてところであった。なじみになったオーナーとは、再会を笑顔で確かめ合った。

ここでは、私は最高の感動をいただきました。通訳の景子さんがいてくださったお陰で(今までお互いによくわからないで対話?していたのですが)リオシスさんの心境がよく分りました。
   リオシスさんは席に着くや否や歓迎の言葉を述べられました。

そして私に、ミスターサトウは半分ギリシャ人で半分日本人であるといきなり言った。これには、私のみならず仲間も驚きと感嘆の声が上がった。私はどうしてギリシャ人なのか分らなかった。長い間ギリシャで住んでいたわけでもないし、ギリシャ語も話せるわけでもないのに、と思った。彼が言った言葉は忘れたが、勝手に思ったことは、私が彫刻をここに作ったこと、その彫刻が住人としてここにいること。そして「融合」と名前をつけ、ギリシャ神話も取り入れたことで、リオシスと意気投合したことであろう。そういえばリオシスさんは、ゴルゴーなーは半年日本にいて半年はギリシャに泳いでここにいるといったようである。ともかくこの様にリオシスさんは詩を作り、話をすることが好きな様である。奥さんも、かつて私がサングラスを落とした話を再び持ち出した。「サトウはよくサングラスをなくしてしまう人だ」すると皆は爆笑した。皆さんは「ギリシャからの手紙」を読んで知っているからだ。私が海にサングラスを落としたとき、「ゴルゴーナがサングラスを自宅に届けてくれましたよ」と新しいサングラスを私にプレゼントしてくださったのだ。あのときは、すばらしいギリシャ人の心に感激したものだった