2010.04.20
クルータの海岸散と喜びごと
佐藤賢太郎

3月29日

この日はクルータの海岸を歩いて石を拾うことを当初計画していた。ところがそこまでのバスがないことがわかり、自由行動となった。オリンピア遺跡や周辺をのんびり散策するグループと別れた。

 大塚さん、塚原さん、荻原さんは、かつて私が歩いた海岸で石を拾いたいと強い希望があり、タクシーで行くことにした。通訳の知り合いの運転手が見つかり案内していただいた。エメラルドグリーンの美しい海を眺めながら海岸を歩き、美しい石を拾って歩いた。 

私が先頭でビリが荻原さん。荻原さんは、きれいな石が全然なく残り物ばかりと言っていた。かなり歩いて、行き着いた終着点は私が作った彫刻のあるパルキ港であった。アイスクリームと水を買って一息ついた。それから今度は陸路をレストラン「アヒリオン」へと歩いた。

この道のりはかなりあった。4年前に歩いた道なのだが、間違っているのではないかと錯覚したほどであった。先頭の大塚さんとひたすら歩いた。なかなかつかないけれどこの道でよいと思い、ひたすら歩く。ギリシャの田舎道を歩く楽しみがここにある。この企画は皆さんにその体験をしていただきたかったのです。

ようやくレストランに着いた。レストランのオーナー、ディノさんには私が今日来ることは告げていなかった。「カリスペラ」といってレストランに入ると大喜びで迎えてくれた。奥さんもいて、再会を喜んでいただいた。当然リオシスさんにも知らせていない。しかし私が来ていると教えなくとも、彼が来るのではないかと内心予期していた。食事を始めると期待に応えたかのようにリオシスさんの登場となり、私たちは拍手で迎えた。また話が弾んで楽しい食事となった。すると今度は奥さんと秘書のバジリスさんも駆けつけてくれた。運転手も一緒の食事となり、盛り上がった。もちろんここでは通訳はいなかった。

今日の昼食は私たちが持ちますと言うと、リオシスさんは「ノー、私がご馳走します」と言いました。私たちはその気持ちに感動しました。何を話したかは忘れてしまったが、彼は昨日パルキ港訪問の新聞をもってきてくださった。これには感激した。バジリスさんは、みんなの分までコピーを用意してきてくれていたのだ。

最後に、今晩、お別れの挨拶にオリンピアホテルに行きますと約束してくださった。私たちはコピーではなく、私たちが記事になった新聞をアマリアーダの町で買いたいと言うと、運転手は一生懸命売店を駆け巡ってくれた(本当は、懐かしいこの町で仲間とゆっくりしたかったのだが)。こうして新聞を抱え、仲間の待つオリンピアに朗報を持ち帰りました。