2022.10.3
秋晴れの豊実
森紘一

 40日ぶりの東北道から磐越道は、まぶしいほどの陽ざしで、雄大な磐梯山がいつもより大きく見える。明日(10/1)から、第19回里山アート展が開催される。そのオープニングイベントに参加するため、9/30(土)の早朝、鈴木さんの運転するクルマに時崎さん、桐山さん、大塚さんと同乗させていただき、豊実にむかった。川口の渡辺さん、飯野さん、郡山の大島さん、新潟市内の小宮さんも、それぞれ明日には参加される。コロナ禍以来、久しぶりの集合・顔合わせとなりそうだ。

 和彩館には昼前に到着。さっそく、マキさん手作りのグリーンカレーをいただいた。
ピリ辛のタイ風味にすっかり魅了され、うっすらと汗をかいた。

 縄文の広場はかなり整備され、とりまく杉林の遠景と高い空も、真夏とは一変して落ち着いて見える。よくもここまでたどり着いたものである。「休む暇はないから、ダマシダマシ」、佐藤さんのセリフには思わず納得してしまう。 
 杉の丸太を並べた『橋』の脇に水芭蕉を並べるつもりで、アート展会場の田んぼや黒米の田んぼ周辺を佐藤さん、鈴木さんと刈り込んで探したが、結局見つからず、今回は見送った。ガマや雑草の繁茂は激しく、簡単に手に負える代物ではなかった。やはり植物の生命力にはかなわない。
 明日の会場となる縄文広場前は、時崎さん、桐山さん、大塚さんの手で、きれいに刈上げられていた。

 きょうは早めに作業を切り上げ、石夢工房の露天風呂(?)に入ろうということになった。昨年8月に全焼した石夢工房は、見事に再現復興したが、隣には「桃源の湯」と池が並んでいた。桃源の湯の木造部分は焼失したが、風呂釜と四つの浴槽は無事で、まさに露天に生きていた。その露天風呂を沸かしたので、みんなで入ろうという佐藤さんの“おもてなし”だった。雨どいを器用に使い、四つの浴槽に湯を分配しながら6人で前代未聞の露天風呂を楽しんだ。遠く飯豊連山を望む絶景は昔のままだった。

 夕食時は、ブッキング・ドットコムの若者(男子大学生二人)も加わってにぎやかな宴となった。コロナの状況次第とはいえ、世界の若者や日本の若者も、やがて豊実の縄文広場に数多く現れてくるに違いない。彼らの積極的な夢や希望を聞いていると、明るい気持ちになっていく。同時に我われも「里山アート展」の第20回開催にむけて、佐藤さんではないが、ダマシダマシ、楽しみながらお互いに協力し合っていこう、という合意が出来上がったように思う。

 10月1日(土)、例によって朝飯前のひと仕事は6時集合ではじまった。きょうも素晴らしい晴天である。各自、指示された作業で汗を流した。朝食は7時半だった。
 今回、賄いの助っ人は燕三条の吉川さんである。おかげ様で、地元の山菜や煮物を美味しくいただきました。

 オープニングイベントは、10時から縄文広場の仮テント前ではじまった。佐藤さんの開会挨拶の後、澤野県議会議員、阿賀町副町長,新潟地域振興局津川振興事務所長、教育員会教育長、博進堂社長とご来賓の皆さんの祝辞が続いた。阿賀町教育委員会の阿部さんによる「土器・土偶について語る」という講話もありました。地元行政官庁の皆さんのご支援、ご協力はありがたい限りです。
 ユキツバキの植樹には、地元の皆さんにもご協力をいただきました。入場門の坂道にユキツバキの咲き誇る姿が目に浮かびます。
 昼食時のランチメニュー、おにぎりと美紀さんのアンパンも皆さんに好評でした。

 本日のハイライトは、縄文広場の仮テントでのジャズコンサートでした。縄文とジャズの組み合わせも異色でしたが、縄文人が暮らしたであろうこの台地で、新潟を代表するジャズボーカリスト渡辺直子さんが歌う姿は、十分に魅力的でした。生きる喜びと切なさに思いをはせる鎮魂歌ともなっていたのではないでしょうか? 秋晴れの豊実に心地よく響く、熟練ジャズメンの選曲はまた、素晴らしいものでした。
 下越酒造佐藤社長の奥様から、「まさかここでジャズを聴けるとは、とても楽しませていただきました」とひと言をいただきました。

 

 

 

   







 
 
2009.12.