2012.03.11
ギリシャへの夢、ふたたび
森 紘一

時折陽はさすものの、低い雲がたちこめる港を吹きぬける風が高揚した気分には心地よい。テレビ局のクルーと新聞記者の一団が我われを待ちうけていた。2010年3月末、春まだ浅いアマリアーダのパルキ港に我われはようやくたどり着いた。

アマリアーダ市はギリシャの首都アテネから西へ400キロ、聖地オリンピアに近い。そのイオニア海を臨む小さな埠頭に佐藤さんの作品は設置されていた。

『ゴルゴーナ(融合)』は大理石に彫られた半人魚の女性像で、台座をふくめると高さ2.4メートル、想像以上の大きさだった。佐藤さん夫妻を囲んで総勢13人の仲間とともに見上げた、あのときの感激は忘れられない。

欧州文化首都「パトラス」の石彫シンポジウム招待作家として、2006年6月佐藤さんは単身ギリシャにのりこみ、1ヶ月に及ぶ滞在で作品を完成させた。その間、アマリアーダのリオシス副市長夫妻をはじめとする関係者と佐藤さんには格別の信頼関係が生まれたようである。

我われ一行を迎えてくれたパーティの席で「サトーの友達は、ワタシの友達」と、リオシス氏は満面の笑顔だった。ギリシャ神話をよく例えにひくリオシス氏は、日本の歴史や文化についても造詣が深く、また黒沢明監督のファンであり映画通でもあった。

佐藤さんの作品づくりについても、リオシス氏と佐藤さんはかなりやり合った(?)ようである。とはいえ、ギリシャ語と日本語、お互いに心もとないという英語で意思の疎通が充分はかれたとはおもえない。しかし、そこは眼と眼で語り合いハートとハートで理解し合いながら、ことを進めたというのが真相のようである。

佐藤さんによれば、『ゴルゴーナ』は縄文時代に遠く大海を泳ぎわたって古代ギリシャに漂着した人魚を描いたという。作品名は、ギリシャ語と漢字で「融合」の文字が台座に彫り込まれている。まさに、「東西文化の融合」であり、ギリシャと日本の友好、リオシス氏と佐藤さんの友情のあかしといえそうである。

4月初旬、我われはギリシャに数々の思い出をつくって無事帰国した。すでにその時、佐藤さんも次なるプランにむけて心は固まっていたようである。

 「アマリアーダ市の海辺に続くプロムナードにサトーの新しい作品をつくってほしい。そこを日本とギリシャの友好広場とし、完成した暁にはサトーをアマリアーダの名誉市民として迎えたい」

リオシス氏のオファーは、何よりも佐藤さんへの揺るぎない信頼と石彫作家佐藤賢太郎への高い評価に裏打ちされている。

  今にして思えば、帰国のために飛行場へむかうアテネ市内はデモのため交通渋滞していた。しかし、それがユーロ圏を揺り動かすギリシャ問題の前兆であろうとは予想できなかった。

あれから2年の歳月が流れた。

その後のギリシャは、公務員ストや市民の暴動も多発して政権も交代した。各国のバッシングを受けながら、ようやくここへきてユーロ圏の支援を現実のものとすることができそうである。時の政府や金融経済の施策を云々するつもりはないが、一般市民はむしろ被害者という構図だったのではないだろうか。

一方、地震と津波、それに原発がからむ東日本大震災から1年、我が国も地球上のあらゆる国と人びとから支援を受け、声援をいただいている。政治や国境を超えて市民レベルの絆づくり、国際交流はますます高まっている。

ところで、一昨年末、前立腺ガンが発見された佐藤さんは手術することもなく、徹底した食事療法と精神鍛錬で元気を保持されている。身近な‘生きものたちの命’の造形に苦心するかたわら、農薬を使わない米づくりや自然の生態系を維持しようとビオトープづくりにも余念がない。その上、「難は創造の時」と年初から2回個展を開くなど今や意気軒高である。

3月4日、上京された佐藤さんに合わせて会合を持った。佐藤さんの健康を確認しながら、出席者16名全員がそれぞれの近況と抱負を語り合う夕べとなった。そして佐藤さんも、リオシス氏との約束を果たすべく動き出す意志を開陳された。

我われも、いわばこの「ギリシャプロジェクト」に参加できることを誇りに、NPO法人コスモ夢舞台として夢を共有していきたいとおもう。

幸いなことに、科学技術と文明の力で自然を支配しようとする欧米に比べて、神話の国ギリシャ人の心根は日本人の自然観に共通するところも多い。これも異文化との融合、友好にとっては好条件といえる。

一番大事なことは、「ギリシャプロジェクト」の作戦として佐藤さんの講演活動を進化させることである。講演活動を都市の人びとに広げることで、支援の輪はさらに拡大することになる。佐藤さんが親善大使をつとめる喜多方市、佐藤さんの第二のふるさと蓮田市、佐藤さんの母校東京芝浦工業大学は有力な開催候補地である。

 わたしの住む横浜市港北区にも、アテネのエルム通りと姉妹関係にある大倉山エルム通り商店街がある。さらに、駅名の由来ともなった東横線の大倉山には、大倉精神文化研究所の大倉邦彦が、それこそ「東西文化の融合」を祈念して80年前に建てた横浜市大倉山記念館がある。

これらの各地で佐藤さんの講演が可能になれば、それは願ってもないことである。佐藤さんとリオシス氏の友情がギリシャと日本の友好関係を促進し、新たなアート作品が東西文化の融合を揺るぎないものとする。

そうなれば、NPO法人コスモ夢舞台も新天地を開くことができそうである。

ギリシャへの夢は、ふたたび大きく膨らんでゆく。