2009.12.

2013.10.03
講演会から学ぶ
佐藤賢太郎

今日、実践倫理の富山大会が行われ、この講演会に参加して、私は共感力という言葉が印象に残った。 

日本は壊れている。その一例として、あるビジネスマンの例が挙げられた。喫茶店に来店したあるビジネスマンが自分のコーヒーを運んでテーブルに置こうとしたとき、そのコーヒーを床に落としてしまった。カップも壊れ、店員はその後片づけをしたが、その男は「落ちてしまった」とだけ言って、すみませんという一言もなかった。そして店員が代りに運んできたコーヒーを自分のパソコンをテーブル一杯に開いていたため、顎で別のところに置けというしぐさをしたという。そして彼は、はた迷惑も考えず携帯電話で仕事のことか、大声で英語で話していた。グローバルに仕事ができる人間かもしれないが、人の迷惑も感じないビジネスマンは自己中心主義そのものである、と言っていた。 

さて、私は、我が家はどうか。私もそこまではしないが、家内からあなたは自己中心主義といつもたしなめられている。私にはうるさくいつも指摘する側近がいる。さらに言うと、自己主張の強い同志が共に暮らしているから争いも起こるのも当然である。 

そして対極に生きるお医者さんの話があった。岩手の無医村で困っていた村長のことを知り、千葉の医局長をされていたある医師は奥さんと無医村に移住した。夢のような事実に、村長さんや住民は喜んだ。地元の方と打ち溶けた日々であったが、奥さんは血液がんで7年後他界された。そして村人はその葬式に岩手からはるばるバスを仕立てて、医師の自宅である千葉に200名もの方が葬儀に参列したそうです。

こうした現状に、村長さんまた無医村になると失望していたそうです。しかしこの後、村長さんの耳を疑うような医師の行動があったのです。医師は村人のこの恩義に応えたいと、子供を預けて戻ってきたのです。ここに人が感動する、人とひとの共感がある。理想はこのように伝えられても、このように行動できる人は少ないだろう。だから人は感動し共感するのだろう。

問題は若者ではなく、日本の年配者がひどい。いい年をして、すぐキレる。簾恥心がなくなった、そのことが問題である。日本は大地震の復興収まらない現状の中で、原発再稼働、原発の技術力を海外に売るなど経済効率優先の道を選んでいる。人の迷惑も考えず、なんでも金、金という日本になっている。これが、日本は壊れているということであろう。 

自然との、人との共生をもって、われも人もの仕合わせがひとの共感を呼ぶのであろう。このように共感できる人はたった一人でもいい。そのために自分ができることを一生懸命にする。

この講演を聞いて、私は共感する人と共に、命ある限りコスモ夢舞台創りに励みたいと思った。