2018.04.10
楽しい人生
佐藤賢太郎

 これから、さまざまな人々を受け入れるための準備に、忙しく動き回っています。けれども、楽しい日々です。今年の春は特に忙しくなっている。準備はまだ終わっていません。雪囲いも取り外していません。

Nさんには、さまざまなことを手伝っていただいています。その範囲は、ハードワークから名簿修正などのソフト面までに及びます。

ところで昨日は、新潟の「ガンの患者学」定例会に行きました。3月号に私の特集が組まれたので、どうしても行こうと思いました。

それに、治ったことにありがとうと言う意味も含め、油断大敵と自分に言い聞かせています。

一人のガン患者さんが、医師から見放され、うなだれていました。ところが、その方の心が変わっていたことが嬉しかった。我が家に帰ってから、あることで会員の方に、承諾をいただくために電話をしました。

話は戻りますが「いのちの田圃」3月号を読んだ参加者が、私のことを「埼玉で教師をしていたのですか? それを辞めたとは知らなかった」というのです。

「やることが徹底している」とも言われました。

それに関係することですが、朝起会で家族とか夫婦について、何をもってそう言えるのかなどを学んでいます。

私は定例会が終わり、新潟から急ぎ帰りました。それは待っている家族がいるからです。ことに、一時かもしれないがNさんも我が家の家族になり、私の帰りを待っています。家内はNさんが居ることで、あるものを生かし、工夫して、美味しい料理を出してくれます。少し普段と違いますが、有難い料理作ってくれます。

人生70歳にして、この出会いを感謝している。「うらやましい」という前に、この表面的な現象は、その見えない準備や人の結びつき、辛苦があります。

私は、より理想を実現するため、命ある限り危険なこともしています。さまざましている中で、この出会いに遭遇するのです。限りある命、今を精一杯生きようとしています。