2010.02.21
個展の日々6
佐藤賢太郎

これまで個展での人の出会いを述べてきましたが、出展作品について述べてみます。大塚さんが「分解する顔」という作品は今までにない作風だと言っていました。確かに私には珍しい、まったく新しい挑戦でした。

かつて作品を作っているときに指の怪我をしてしまい、その時「這い上がれ」が生まれました。身を削っての痛い代償でした。今回、「分解する顔」はもともとそれとは違う作品を作ろうとしておりました。ところが石が二つに割れてしまいました。そのとき閃きました。見て美しいとか癒されるとかいう作品ではなく、内なる心情を表現しようと思いました。

人間には出会いがあれば別れもある。さまざまな分裂、分解のときが来るときもある。人間には心を癒されたいという気持ちもありますが、私たちの生活には別れがあり出会いとともに寄り添っています。リーマンショックもバブル崩壊もそうでした。この作品はその現実を表現しようとしました。

この作品が売れるとは思いませんでした。個展の最終日、SさんとMさんに手伝っていただき作品のかたづけをしているところへ、ある男性がお出でになり「分解する顔」をお買い求めになりました。一体どんな気持ちで求められたのでしょうか。

ギャラリートークで私は「何を作りたいか、これだというものが見つかることが難しい」と申しました。もちろん表現する技術もそうですが、その前提にまずそれを見つけることが大事だと思います。縄文人、外国で出会った人々、動物たちとの触れ合いとふるさと。それらを表現しようと考えました。

 魚は今までもレリーフにして作ってきましたが、それを意識して 自然環境の循環と関連して作りました。縄文人は言うまでもなく縄文人の精神の大切さを私が知るためです。女性像は外国人との出会いを記録にしました。ほかの女性像は冬と春そして生命を意識して制作しました。

 かつてアトリエに来る鳩や昆虫との出会いを意識して作りました。時とともにこうした出会いの感動や危機感などを表現してゆく彫刻は、私にとっては心象風景を写す日記のようなものになっています。