2015.11.16
精神科医の先生来る
佐藤賢太郎 

昨年、博進堂の社長さんがお連れになった精神科医の川村敏明先生が、今回、自ら和彩館指名ではるばる北海道からやってきました。昨年は仲間と作った建物をすべて案内しました。感動してくださいました。今年は建物だけでなく、話しも含んだ食事付きのオファーが社長さんからありました。3人の職員と先生と博進堂の社長さん5人です。

いわく、感動したことを先生ご自身で伝えることが難しいので職員も参加することになったようです。到着するや否や私は滔滔停を案内しました。一同感動の声が上がりました。泥壁のままでしたら昔の懐かしさで終わっていたと思います。宇宙の壁画と外の風景が対照的であり、誰にでもインパクトがあったようです。私は「こんな過疎に住みながら、最高に贅沢な暮らしをしています」と一言。 

さて、食事をしながら私は話しました。そしてみんなで歓談いたしました。

その中で興味深い話がありました。先生曰く「私の仕事とここの生き方、考え方がどこかでオバーラップしているので来たくなったのです。作品を作ることが芸術ではなく、生き方が芸術的なのではないかと思えます」さらに、「私は地元では評判が良くないのです」と語るのです。「それは私と同じですね」と笑いあいました。なぜ先生は評判が良くないか、それは世間のお医者とは少し違っているからだというのです。「私は、患者に治らなくていいですよ、治って何をするのですか」などと言うと、「安心して、以前と変わらないよ」と笑顔で患者さんは先生に言うそうです。

医者が治すのではない。ただ通過するだけだというのです。普通、医者は直すことばかり考えているともおっしゃいました。 

食事については絶賛し、これは美味しいと食べていました。ことに印象的だったのは「理想的な話をしているとき、反対の言葉を出す人がいる。それはなぜか、それをそのまま受け入れることが怖いからです。自分が壊れてしまう恐怖心から相手を認めたがらないのです」私はまったくその通りと話しました。

ある時患者さんと健常者が講演を聞いて、一人ひとり発言したとき、健常者はとてもつまらないと発言をして、患者さんは実に面白かったと言ったそうです。どっちが患者なのでしょうか。確かに、郡山の障害者が主催の講演会で私が話したとき、障害者たちの感謝の意や素晴らしい質問があった。

前後の話しは忘れましたが健常者がショックを受けて、その後安定した職を辞した方もいたそうです。受ける力がない人に、あまり感動的なところに出会わせないほうが、会社にとっては良いと考えたそうです。婦長さんが「どうしてそんなに純粋なのですかと」私に問いかけました。

川村先生は、今度研修に来たいですねと言いました。すると、博進堂の社長さんも私も社員と参加しましょうと言いました。あまりお客さんが来ない和彩館ですが、実に楽しい感動する一日でありました。