2010.01.13
雪国の生活1
佐藤賢太郎

世界の中で四季が一番はっきりしている国は日本だろう。日本の中でも雪国が一番四季の変化が際立っている。春、淡い緑に、あちこちピンク色。夏、濃い緑色。秋、まさに錦秋。そして冬、一面白く覆われる。その中で一番長い季節が冬である。ほかの季節はあっという間に過ぎてしまうのだ。

豊実は雪国でありながら、ここ2年余り雪が降らない年が続いて、雪に対する心の準備が薄らいでいた。ところが暮れの12月に大雪であわてて雪対策の準備。年明けて今日1月13日が大雪。朝、我が家の駐車場には40センチの雪が積もっていた。(一晩で音もなく60センチ、1メートル積もっていた昔に比べれば少ない。)午前6時、先ず外に出るための雪片付け、裏庭や道路に雪を除ける(道路に雪を投げないで下さいと、広報されるが捨て場がないので仕方ない。)朝食後、工房に出かけようとするとまたさらに30センチ雪が積もっている。短い長靴では外に出られない。またスノーダンプで除雪作業。

 工房までは歩いて15分、若いチロ(犬)を連れて雪道を歩く。個展前で作品つくりをしているが、今日は先が見えないほど細かい雪が降り続き、あっという間に積もってゆく。工房の木々の枝に雪が積もるその風景はとてもきれいである。まるで墨絵か抽象絵画のようである。

お昼になり、また犬を連れて帰る。一面真っ白で道が見えないほどであった。視界が10メートルで、今日は最近になく辺りは暗い、すごい雪が降っている。青空の下で住む関東の人には想像できないだろう。日本という同じ小さな国なのに、地域によってどうしてこんなに違うのか。自然はすごいものだ、まるで魔法のようだ。

 さて家に着くと、雪をかき分け家に入る事になる。早速スノーダンプで歩く道を作る。これでも3メートル積もる十日町に比べれば遊びみたいな降雪量だ。まだ今年は屋根に上がって雪下ろしをしていないが、今年はしなければならないだろうと思っている。こんなことは雪国では当たり前のことなのに。

こういうところで暮らしていると、日々の暮らしに追われてとても夢のある生き方などとは考えが浮かんできそうもない。しかし私は関東で長い間生活し、友がいたお陰でこの地で夢を実現するために小さいながらも仲間とともにコスモ夢舞台というものを形にしてきた。それは箱庭かもしれないが、一生のうち自分の趣味範囲を超えたものに挑戦するということにこそ意義があると思う。

 冬は雪を受け入れて厳しい自然とともに暮らす。また、冬は不便ではあるがこの冬が過ぎれば春が来る。厳しさの後の季節は一層の歓喜がある。人間も自然の一部と言われるが、それを受け入れるのに、ここはいい環境である。こうしてこの暮らしを重ねるごとに、私は自然に溶け込んでゆくのだろう。