2009.02.16
老人との出会い
佐藤賢太郎

   先日、鹿瀬に住んでいるOさんが突然石夢工房に現れました。私が制作している傍らで、遠慮気味に薪はいらないかと言うのです。お父さんが作った薪を風呂に使わなくなったので処分したいと、私の噂を聞いて思いついたそうです。

後でと思ったが、せっかくその場所を案内してくれるというのでトラックで家内と駆けつけた。車に積むのに、ものすごく良い条件の場所に質のいい楢の薪がきちんと積まれてあった。

そのお父さんは81歳で、お元気なのです。若い頃木炭を作り生活していたようで、山のことに詳しい。それにとてもいい顔をしていました。今でも遊びで炭を焼くそうで、その炭をいただいてきました。

翌日、家内とお礼にお宅を伺いました。そして1時間ほど話し込みました。これからこの田舎で暮らすあり方を、私はこう思うと話をすると本当にそうだねと理解していただきました。そこで春になったら炭焼きの技術指導を受けたいので、私のところに炭焼き釜を作っていただけませんかと尋ねました。どうできるか解からないが何とか考えようと返事をしてくださいました。夢ばかりでなく、どのような規模にするか青写真も必要と言っていただきました。こんな展開になるとは思っても見なかったことです。やはり動くことが大切である、いつか、いつかはだめです。伝承と地域とのつながり、そして体験学習ができるという3点セットになりました。

さてもう一つの出会いは黒米です。これまで手うえ、天日乾し、昔の農具を使って稲刈りとやってきたが、これでは続けられないと解かりました。それで3年目に入り、藤野さんに稲刈りをするコンバインを作っていただくようになった。ところが、3年間籾摺りは失敗ばかりで大変な苦労をしている。私はめんどうで、「もうやめよう」と促すが、藤野さんが「夢があるからやりましょう」と引き受けてくれた。

なにが苦労かと言えば、黒米がこすれてしまったり、もみが出たり、かけたりして黒米にするには、一粒ずつピンセットでつまんで作る状態である。ダイアの粒を拾うならできるだろうが、米粒一つ一つを拾う作業のつらさはやった者しかわからない。これを母や家内がやっているが、肩がこってしまうという。その苦労を思うと黒米作りの夢はいいが、止めたかったのです。

本日仕方がなく、とうとう勇気もって黒米を作って販売している方のところにどのようにして籾摺りをしているのか聞きに行ってみることにした。勇気をもってと言いましたが、ある人からみんな秘密にして教えたがらないよと聞いていたのです。黒米は高価であるがそれだけ作るのが難しいと言うことである。お尋ねした方は農家民宿の体験学習で面識のある、当年とって80歳で元気な方でした。 米つくり一筋50年しているそうですが、これでいいということはない。毎年天候が変わるとそのたびに作り方も修正して、同じではないから、これでいいと一度も思えないと言いました。私たちは農と言えるほどのことはしていませんが、農の話はとても盛り上がりました。

ここで農を取り入れてどうしてゆくか、私は小さいながら魅力のあるいろいろなことをして、都会の人にも関心を持っていただく場所にしていきたいというと、とても理解された様子であった。

私が黒米つくりの苦労話しをすると、笑いながら俺もそうだった、もうこんなこと止めようとも思ったそうです。

最後に、少しばかりでよかったら私が籾摺りをしてあげようかと言うのです。コスモ夢舞台の話がなかなか理解してもらえない地元地域にあって、こんな高齢の方に話が通じたのが不思議である。   

この冬に、今までにない嬉しい出会いが二つ重なった。