2007.09.21
数々の支えと進化

今年の残暑は厳しくて長い。肉体労働は朝夕に限るということで朝の6時に作業開始。隣の菱潟へ賢太郎さん、マキ子さん、筆者の3人で薪材運びに出かける。
釘の付いた廃材ではないだけに危険度は少ないが、製材した切れ端の長いものである。生木のため杉の木であっても重くて、足腰にこたえる。
やっと2トントラック一杯分を積み、石夢工房の置き場におろして朝食をとろうとしているところへ、農業担当のFさんが古代米(黒米)の稲刈りと脱穀のためにみえる。

昨年は人手により鎌で刈ったが、今年は一条刈りのバインダーを使う。
筆者が半日、整理整頓の人質になり、この春にもらってきたものである。修理費に2万円掛ったが果たして、うまく行くのかどうか。本格的な農業をされているFさんとっては、手押し型のものは初めてだという。

運転開始!見事に動いて、一定量を刈ると紐で束ねて右側へポンと放りだす。筆者にとっては、これだけでも魔法のような優れものに見えてしまう。

この作業はFさん1人で良いということなので、再び、3人で薪材運びに行く。
太陽が昇りじりじりと焼け付く。大変だなと思っているところへ、いろんな仕事を器用にこなすという隣村のIさんという人がいて、トラクターで積み込んでくれるということになった。まさに“……で仏”とはこのことだとおもった。

薪材と稲を運んだ後、男性軍3人はたまらず、風呂へ飛び込む。

午後はいよいよ脱穀である。これも昨年は足踏み脱穀機で行ったが、今年は電動のものを使う。稲の量が多いのか、思いの外、時間がかかり、終ったときは夕方6時を回っていた。

農作業も一歩機械化が進み、いろいろな方々の支えがあって今日一も終った。
文化とは「生き方、暮らし方そのもの」、文明とは「技術と効率」と言った人がいるが、コスモ夢舞台で身体を動かしてみて感じることは、どちらか一方だけでは物事が実現できないということである(御沓一敏)