2012.11.12
里山アート展搬出
佐藤賢太郎 

11月3日午後から作品の搬出を始める予定だった。そこに、作家の間地紀以子さんから、石舞台でパフォ−マンス舞踊をしたいと言う長橋さんの舞踊を見てほしいと申し出があった。さらに、里山アート展を見たいという間地紀以子さんの知り合いの方が千葉県から和彩館に宿泊することになった。 

パフォ−マンス舞踊の方が道を間違えたようで、なかなか12時には到着しなかった。ようやく到着して、現代舞踊が始まった。千葉からご夫婦でお出でになった姉川さんのご主人は尺八の名人であった。何とその方が即興でパフォ−マンス舞踊の打楽器をたたいていた。

「未来への門」から長橋さんが踊り始めた。「未来への門」がこれから活躍するであろうことを予見させていた。会員の搬出者は大野さん、大塚さん、山口さん、そして私であったが、間地紀以子さんの友人と一緒に小春日和の中で、そのパフォ−マンスを楽しんだ。

さて夕食時、会員は大野さんだけになって、何と間地紀以子さん関係の方ばかりになった。こんなことは初めてである。その中で、姉川さんの尺八が始まった。彼の人柄もあるのだろうが、即興ができる素晴らしい演奏であった。以前から大野さんは私の太古(じゃんべ)をもう一度聞きたいと何度も言われていた。そのことを思い出し、私はこの人とはできそうと思い、彼を誘って、土蔵の「蔵・銀河」で私の太鼓との即興コラボレーション二人だけの演奏をした。彼は痛く感激してくださった。できれば10周年に即興を披露したと熱い思いになった。

聞けば彼はもともと大勢の中で交わるのが苦手のようであったが、この日は特別の感じがあり、楽しめたという。 

私は9時には母屋に帰ったが、彼らは遅くまで初顔合わせの人々で会話を楽しんでいたという。姉川さんの奥さんは絵を描く方で、私もとても気に入った絵である。こうして思いがけない搬出作業の一日となった。

ここに居合わせなかったらこの楽しみは分からないだろう。今までの経験範囲や自分の予想だけで行動するのではなく、それを超えた動きによって、人の輪が生まれ、広がることは確かである。見ず知らずの間地紀以子さんの友人の受け入れをしたことによってこのようになった。

しかし、これから先も健康をいただいたとして、どれだけの人と出会うだろう。来たバスに乗れという言葉があるが、「動いてこそ感動はやってくる」ことをまた実感した次第である