2022.8.20
「第19回里山アート展」によせて
森紘一

 黄色い「ガリバーの椅子」は豊実の青空によく似合った。

仲間内で棟梁と呼ばれていた大野さんにご指導をいただき、ご近所の古山さんにも手伝っていただきながら大きな「ガリバーの椅子」は出来上がった。名付け親は佐藤さんだったと記憶している。あれは平成17年(2005)、第2回里山アート展のことである。
 目の前をSL磐越西線がモクモクと白煙をなびかせ、下手には阿賀野川をまたぐ大きな赤い船戸大橋がかかっている。その光景は今でも鮮明に思い出す。
 あれ以来、何度か作品つくりに挑戦しているが、傑作は生まれない。美的センスも才能もない自分にしてみれば、当たり前のことかもしれない。

 稲刈りの済んだ田んぼに作品を並べるというアート展は他に類を見ないが、佐藤さんのこの発想が、やがて都市との交流を深め、地域の活性化につながっていくとは思いも寄らなかった。
 美術評論家の藤島俊会さんは、第2回里山アート展に同時開催されたシンポジウムの席上「アーティストの社会的責任」を問いつつ、「圧倒的な自然の恵みを人々に気づかせるためにアートは役立てられている」と佐藤さんの創作活動に期待を寄せられていた。
 「アートで何ができるか?」は、佐藤さんの変わらぬテーマであり、作品つくりの根底にある生き方にもつながっていたのかもしれない。

 あれからすでに20年近い時が流れている。佐藤さんの主宰するコスモ夢舞台はNPO法人となり、過疎の集落と個人の元気をささえ続けている。ここ2、3年はコロナ禍によるブランクはあるものの、今や外国人ウーファーやブッキング・ドッコムの若者たちのたまり場と化している。

さらに、縄文の竪穴式住居の建設も始まり、豊かな自然環境と緊密な人的ネットワークは有効に結集されている。

さて、間もなく第19回里山アート展が開催される。先日、佐藤さんからいただいたお題は縄文広場の杉丸太の橋。どんな姿で周囲の風景に溶け込んでいくかまだ分からないが、同様の作業を縄文人がしたであろうと想像するだけでも心は踊る。縄文広場の丸太橋も豊実の青空に映えてほしいものである。