2018.06.24
なぜ草刈に?
佐藤賢太郎 

私は草刈りしかできませんと言いながら、新潟市から「時間が空いたので来ました」と、進んで里山アート展会場周辺の草刈りをしてくれるIさん(名前を出さないで、詳しく書かないで、というので触れません)という方がいる。

去年から桃源の小径や線路周辺の草刈りに大変に助かっている。彼は彼なりの想いがあり、郷里と重ねあわせ、来てくれるのだろう。

変化はつきもの。宇宙だって変化している。私たちの命も変化している。何を思って生きるのだろうか、それが大事であると思う。 

ホームページの改善も提案してくれた。そしてウーファーの実績一覧を作ってくれる。なぜだろう? でも、自由で拘束されない立場で居たいと言う。

 彼は秩父の斜面に這いつくばって生きる老人たちのハイビジョンDVD特集を「よかったら、見てください」と持参してきた。そのDVDを見ると「山を使わせてくれた。山に返す時には花や木々を植えて返す」そんな言葉があり、「ここには、お金には代えられないものがある」とも語っていた。

 年老いて、土地を山に返すのではなく、私の場合は田んぼを復活している。彼はその私の生き方、実行を見ているのだろう。

私は勝手に思うのだが、これが現代版の秩父の斜面、豊実に生きる私の生き方なのだろう、と思えてなりません。次々と理想の実行をしているが、なかには私を独善的と思う人がいるようだ。

私はここでの日々の暮らしを、実感のままに書いている。