2013.10.22
接点をもった大学生に思う
佐藤賢太郎 

4年ほど前、新潟大学の学生が和彩館に泊まることになった。初めは何をするでもなく宿泊だけであった。翌年は日帰りで、田圃に出向いて働く?ことになった。あと2回は、ダブルホームGホームの学生が宿泊して里山アート展に参加することになった。そして今年の里山アート展参加となり、私の意見を述べます。

里山アート展に参加する学生は、大学の授業とアルバイトだけの学生に比べると意欲的な学生と思います。ダブルホームは、他の大学では行っていない制度のようで意義もあります。学部を超え、学年を超える交流。地域との交流。社会性を身に着け、人間性を養う。こうしたことを目的に大学ではダブルホームの制度を考えていると認識しています。それは意義があり素晴らしいと思います。しかし、表面的な地域のイベントに参加しただけで終わっては、もったいないと思っていました。その程度で満足するなら、物足りなさを感じてしまいます。きっかけはどうであろうとも、常に進化すべきだと思うからです。

そうしたなかで、私の話を他の学生に聞いてもらいたいとの学生が現れ、私は学生と付き合うことにモチベーションが上がりました。今までの里山アート展イベント参加にとどまっていなかったからです。 

これまでその学生たちは、その私の講演会「来たバスに乗れ」の打ち合わせを12回も重ねてきたようです。単位にもならないことに時間を費やす、その努力はなかなかできないことです。しかし、未だ講演会参加人数が10名を上がらない現状を見ますと、この講演会をする動機が薄らいでいるのではないかと感じます。 

さて、講演会の件はいったん置いて、里山アート展から感じたことを述べてみます。その前に、里山アート展はプロばかりでなくいわゆる素人も参加しています。障害者も参加しています。どう評価されようが全て私が責任をとる立場です。だから仲間にも何でも出せばいいのでなく注文もします。

学生たちは、今年もどういう作品を出すか話し合ったそうです。その結果、「未来にGO」という(形として筏)になりました。私は「アートは創造力であり、とても感性を磨く大切な訓練になる」と言っています。その点からしてとても褒められるものでありません。学生たちは自分なりに精一杯努力して満足しているかもしれないが、大学生がこれでいいのかと感じました。私は作家のように何も立派な作品を作れとは言っていない。しかし、創意工夫、個性ある発想が感じられないのです。個人で作るのでなく、多くの集団で作るならばそのコンセプトができていません。世界で通用するでしょうか。これはどこでもいえる大切なことだと思います。みんなで何を話し合ったのでしょうか。机の上での答案用紙に決まった答えを正しく書けても、現場で描く豊かな発想がないのではと思います。10回里山アート展のこの機会に学生に作品制作の他にも言うべきと思いました。私は遠慮しません。それが嫌なら参加しなければよいだけです。

 障害者たちの絵を見ましたか、大学生の隣にある粘土を焼いた埼玉大学の先生の作品を見ましたか。それらに比べて自分たちの作品はどうであるのかを考えてみてください。何も感じないならそれこそ問題です。何が自分たちに何が足らなかったのかを反省してこそ、里山アート展に参加する意義があるのです。 

埼玉大学の先生にどうですかと感想を求めましたが、返答に困ったようです。「どこの大学の学生も同じです」とのことでした。そして「もしこの中で教員になりたいと言う学生がいたら、採用されても、すぐに辞めてしまうだろう」とも言っていました。

私はすべて駄目だとは言っていません。こう言われる機会を得たことは素晴らしい体験です。何の疑問もなく、卒業したらどうなるでしょうか。 

里山アート展には私を含めてプロが多勢います。どうして、これでいいのかと尋ねる学生がいないのでしょうか。授業の時、解らないところを先生にも尋ねないのでしょうか。それとも里山アート展は取るに足らない軽い憩いの遊びと考えているのでしょうか。

学生は内に秘めていいものがあるのに、個性や創造性を出せないまま無難に過ごして就職するのでしょうか。

里山アート展の催しのなかに、フォークソングがあります。ただ歌を歌うだけで終わるのではなく、その舞台を作るにはものすごい影の働きがあることを考えて欲しい。人を集結させる新年と実行力、人間力が必要であること少しでも感じて頂きたと思います。学生たちには、これからの日本を背負う有能な人材になっていただきたいからです。

そんな中でドジョウすくいに参加した学生、道路掃除に一時でも懸命に汗を流した学生は、日ごろ使わない、創造力と行動力を身に着ける、脳の活性化になります。私は、里山アート展の裏方に参加した学生に嬉しく思います。そしてさらに一部の学生が講演会に向けて取り組むことに、学生に将来的希望をもちます。実践した結果は明快に出るでしょう。それが今現在人間力だと思います。

最後になりましたが、学生と接点をもてたことは、私には何よりの収穫かもしれません。そして真摯懸命に接点をもとうとした学生に結果は別に評価致します。ただし、私はそれだけでは決して満足していません。

最後に里山アート展はコスモ夢舞台のすべてでなくアート、農、食、健康、ビオトープつくり、過疎活性化に取り組み、教育を含む活動です。それを会員の集合力によって実現しています。