2013.12.20
続、アートで何ができるか
佐藤賢太郎 

里山アート展を10年(開催10回)継続してきた。これからも継続していこうと思う。過疎地における里山アート展は、美術鑑賞にとどまらないことは言うまでもない。

これまでも里山アート展で「アートで何ができるか?」を述べてきましたが、立ち上がりから振り返ると、ずいぶん幅が広がったと思う。

(1)JRの線路、川べりの景観が整備された。(2)使われていない荒廃してゆく田んぼを再生できた。(3)作品見学やオープニングの芸能発表会によって、過疎に人が集まるようになった。(4)ホタルやメダカが棲めるビオトープをつくることになった。(5)畦道に石畳、舗装をして散策する道を作ったことによって、障害者の方も鑑賞できる場となった。(6)創造する力の大切さを考える。(7)若者も集まるようになった。ここまでは以前から述べてきました。 

今回、新潟での講演会を開催してさらに思った。里山アート展に大学生が参加することをきっかけに、それを動かしている生き方を知りたいと声を上げた学生がいた。そして講演会は大学生スッタフ5人と開催でき、大成功に終わった。講演会のアンケートの中にコスモ夢舞台に行ってみたいとの感想があった。 

更に「アートと農」に触れてみたい。経済効率の悪い米つくりを辞めようと、田んぼが荒廃する中で、私は価値ある米つくりを目指した。

(1)除草剤農薬を使わない無農薬田んぼには、ホタルやメダカが棲むようになった。これも、田んぼでアートをする意義や本質を考えたからだと思う。

(2)炭つくり、もみ殻によって粘土を焼き作品つくりに挑戦した作家がいた。そのために多くの籾を集めた。これを機会に燻炭をつくることになった。この燻炭を大量に畑に入れた。言うまでもなく良い畑にするためである。つまり有機、無農薬畑からとれる野菜は貴重品となる。

(3)これは実験段階ですが、機械化によっても変形した田んぼは稲刈りで籾が田圃に残ってしまう。踏みつけられた米が田圃に多く残っている。実にもったいない。この落穂を拾って集めた量を玄米と交換することにした。モミ拾いをしながらアートを見る。

(4)これは希望ですが、会場周辺の雑木を切り、景観を良くして行く。雑木は、炭にして利用できたら一石二鳥となる。

過疎地では、年々限界集落になっていくのに手をこまねいている。しかし私は、このように実践していけば夢を創ることはできると確信している。机上で論じるのではなく、さらに「アートで何ができるか?」を追求していきたいと思っている。