2011.08.11
真夏の訪問者
佐藤賢太郎

EU・ジャパンフェスト日本委員会事務局長の古木修冶さんから、夏に豊実に伺いますと知らされていましたが、「明日10日豊実に行きます、佐藤さんいますか?」と、突然電話をいただいた。

そして、東松島市の大江さんから「10日在宅していますか、私伺います」と、また突然の電話があった。こうして偶然、皆さんが豊実で合流することとなった。

皆さんそれぞれに忙しい身でありながら、遠路わざわざ日帰りでお出でになりました。この日は、郡山市から外で遊べない家族ひと組が我が家で滞在していました。賑やかになった昼の流しそうめんの準備をしてしましたが、皆さんそれぞれのご都合で1時から2時の到着となりました。

 古木修冶さんは水害被害の心配をされての訪問でした。「何か必要なものはありませんか?」と訊かれましたので「甘いものは食べません。納豆と豆腐があれば充分です」と答えました。すると、納豆と豆腐を一杯買ってきてくださいました。私は被害を受けていたわけではないのに、気遣っていただいてのことに頭が下がります。

そして東松島の大江さんは、娘さんと厚木からのボランティアの方と3人でお出でになり、途中会津坂下で吉良さんと合流し、ご丁寧にお土産を持ってきてくださいました。大水被害見舞いの心遣いかと思います。

私たちはテレビで報道されているような被害は何もありませんと言ってきましたのに、わざわざご足労おかけしました。支援する立場が今度は支援を受ける立場になったようです。

和彩館の丸いテーブルを囲み、和やかな歓談の時間をもてました。
私は古木修冶さんに、冗談半分で「病状がその後どうなっているか、私が生きているか、確かめに来られたのではないですか? 私は毎日忙しくて、このように元気です」と言いました。

その後、仲間と作ったビオトープの田んぼに案内し、メダカや金魚も見ていただきました。そして美術館にも案内しました。

大江公子さんからいただいたメッセージをご紹介いたします。

“この度の震災では、皆様のご厚意に心から感謝申し上げます。思いもしない大津波で、家や財産や大切な家族を失った被災者の苦悩は癒えることはありません。それでも、町から瓦礫の撤去が進み仮設住宅に入居することで「自分だけではない」ことや「生かされた命」の意味を考えて落ち着きを取り戻そうとしているようです。一人一人が一日も早く震災前の生活に戻ろうとしています。今回の震災で強く感じたことは、人の温かさです。震災当初、物資も輸送手段も無い中、いち早くご支援いただきました皆さま、ありがとうございました。2年後には、美しく自然の恵みに育まれた東松島市になりたいとがんばっています。その時に東松島市で皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

平成23年8月10日

東松島市  大江公子“

「天災は不幸なことでありますが、人と人を結ぶ力にもなります」との古木修冶さんの言葉のように、私たちはいつどのような境遇に陥るか分かりません。不幸をバネに支えあう仕合せを会得したいものです。