2011.12.31
手にした写真集
佐藤賢太郎

作品の搬入飾り付けを仲間の協力により無事終え、郷里に向け長距離バスの出る東京駅鍛冶橋に向かった。まだ時間に余裕があったので八重洲ブックセンターに立ち寄ることにした。

はじめ、字源辞典を見ていましたが気に入ったものがなかった。帰りに目についたのが東日本大震災全記録集であった。開いてみると目にしたくないような悲惨な写真であった。このような時代に誰しも明るさや癒しを求めがちであるが、私たちは被災に合わないからといって、そこから逃げてよいのかと思った。まして、私は東松島や石巻で苦労している友人知人がいる。あえて私はその写真集を買うことにした。

写真集にはテレビ放映にないような遺体集合の写真もあった。それは痛ましいものである。被災に合わなかった私たちは時とともに忘れがちであるが、東北の被災された方は今も苦悩のなかで暮らしている。私たちは本当に被災者のためにしてあげられることはあるのだろうか? マスコミは歌やスポーツから元気を与えるというが、それだって微々たるものであろうと思う。最後は自分一人一人が立ち上がる気力が必要であると思う。それにしても、精神的に苦しみ入院する方もいる。何もできないが、私たちは被災者のことを忘れない心をもつこと、人の絆の大切さであろう。これくらいのことしか私にはできない。希望があれば、知人に「絆」「水魂」という文字を石に彫り差し上げたい。

さて、手にしたこの写真集からどんな文字をイメージできるだろうか。「祈り」であろうか、「慟哭」であろうか、「明日に生きる」であろうか。