2015.03.30
今年の味噌つくり
佐藤賢太郎

 3月28日(土)晴天、石夢工房に雪が残る中、味噌つくりをしました。

参加者は私たち夫婦、大塚さんと古田さんは前日27日から参加。梁田さんは午後参加。夜到着の飯野ファミリー、食事の賄に長谷川さん。28日(土)当日、桐山さん、小宮さん、いとこの坂内君、山口君、阿賀町の女性、五泉市の女性と大集合になってしまった。

 結局、総勢16人で行った。今年の味噌つくりは、賑やかで楽しく、例年になく早くでき上がった。こんなに集まったのは久しぶりであった。今年開けた味噌は、例年の1.5倍の麹を使い、当然塩も多く入れている。果たしてその味はどうであろうかと思っていた。何と味噌の味はすごくいい出来あがりであった。その味の良さ、味噌の美しさを感じた参加者は大喜びである。

 何故早めに終えることができたか検証しますと。

第1に前日に豆を煮あげて、当日朝少し温める程度にして朝一番にモーター付きの機械で豆つぶしをできたこと。第2しかも機械は順調に動いてくれたこと。第3に集まった人が多かった。それで、豆の練りこみを大勢で板の上で行ったことで、仕上がりを早めることになった。

第4に室内用の味噌練板をトッラックと同じ面積に作ったことが良かった。第5に豆を練り込むタライを3つにしたことが早く出来上がる要因となった。ここまで来るには試行錯誤で年数がかかった。美味しく安全な食を作るには手間暇がとてもかかります。石夢工房がなかったらできない、人が集まらなかったらできない、賄ができないならできないと思います。コスモ夢舞台の成り立ちと同じようです。

昨年は午後3時終了であったが、今年は何と11:30終了。来年はさらに改良を重ねてゆくつもりである。

 作業が早く終わったので、昼食後、田んぼの変容をパワーポイントで振り返る余裕があった。スクリーンに出てくる画面を見て、会員の皆さんはどんな心境だったでしょうか?

まるで、6月の浦和の講演会のリハーサルの様な雰囲気でした。

そして飯野君とは、今まで以上に信頼関係が深まったことが私には嬉しかった。私は中学校の教師の時、柔道部の顧問をしていた。当時、飯野君は柔道部の部員であり、技術科を教えていた教え子である。その時からの私を知っていて、私がとても怖い存在であったと言っています。今なら悪い教師として、新聞やテレビのつるし上げのネタになっていたかもしれません。その彼が、今日まで繋がっている。しかも奥さんを連れ、子供も連れてきてくれた。彼は単にリクレーションできたのではなかったと思う。凄いタイミングであった。まさに「来たバスに乗れ」である。

朝、私たちは母を交えて勉強会をしている。飯野君も誘った。このような体験に、子供も連れてくることは素晴らしいと母の姿も皆に見せた。飯野君は、苦難すら良い結果を出している、その姿を目の当たりにして納得したようです。

人は皆、幸せになりたいと願っている。幸せは、①健康であること、②信頼できる人間がいること、③人の役に立つ働きができること、④家庭愛和であること、これは生涯努力ですが⑤勉強をすることの喜びがあること、⑥チャレンジする勇気があること。それらすべてを一言で言えば、人間力があるかどうかということになるかと思います。

 次世代に豊実に来るのは飯野君になろうかと思う。その次は飯野君の娘、高校生になった美月ちゃんに期待したい。美月ちゃんに、偏差値が高いことが幸せにつながるとは限らない、何が大切なことかを考えてほしいと伝えた。

 誰がコスモ夢舞台の精神を受け継ぐのか今は解らないが、私はそんな人との出会いを楽しみにしている。