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2009.07.09

佐藤賢太郎との対談12

「同郷出身者と語る」(遠藤孝士)    遠藤孝宅にて

合併以前の鹿瀬町、町立20周年記念行事として郷土出身作家の展覧会が行なわれました。そのときたまたま埼玉県蓮田在住の遠藤さんが会場にいて、私と同じ蓮田在住と思いがけない出会いに驚きました。蓮田に戻り何かとお付き合いするようになりまして、郷里で仲間と活動に関心をもたれ会員となりました。ふくろう会会員の中でたった一人の地元出身者であります。

佐藤 車がとめるところと、駅まで歩いてゆける便利さに恵まれている遠藤さんの家があり、その上快くとめていただけることに甘え、いつもお世話になっています。

郷里の心理

遠藤 田舎と私、日出谷に生まれ育った18年間が私の人生の基礎が出来たところです、老後は日出谷に戻りたいとも思いましたが地域社会とのパイプが太くなりすぎて私を必要とする蓮田でと決めました。

佐藤 遠藤さんは隣村ですが同郷に夢を作る、何かやっているそんなことに関心があったのでふくろう会に入ってやってみようと思ったのでしょう。どんな思いでしたか。

遠藤 自然大好きな人間ですから初めて悠悠亭に行った時私の心が動いた。何が関東から大人も子供も連れてくるなら最高の場所、何か村おこしにもつながるような気がした。会員については正体不明だが話し上手な人ばかりでびっくりする。

佐藤 郷里でふくろう会仲間と活動していることに地域の方はどちらかというと理解されていなかったように思います。
   郷里の人々の心理は遠藤さんがふくろう会会員の中でもっとも理解しやすいと思いますが。

遠藤 私がふくろう会を続けて来られたのは田舎に住居を持たなかった事が幸いした。

ふくろう会に入会した頃(1〜5年)。豊実で何をしているのか?と自家で聞かれると、私は田舎のもたない子供たちが遊びに来る場所を造っていると返答していた。

   それは、ふくろう会館を造っている頃からケンタロー氏の一直線の気質が地元住民の理解のないまま作業を行い、地元の人の疑心暗鬼がつのっていたからでした。

村人も含め豊実で何を作っているのかといろいろ聞いてくる。町中からよからぬ噂話が流れる。身内の実家のこともあり私の耳に入れたくない事もあったようだ。豊実に行ってほしくないような言い方もあった。ケンタロー氏だけでなく仲間の事もどんな人達なのかと聞かれるたびに私は、自家に迷惑のかかるような事は一つもないと一言いうだけだった。

 この頃(入会して6〜10年)になると次から次へと夢がふくらみ、鉄は熱いうちに打てとか、体力のあるうちにとか急ぐことばかりで計画性、安全性、経済性など考えてもまったく先が見えない。町の噂よりもこちらの方が困った。誰一人ケンタロー氏に物申す人もなく現地に着いてから言われた事をやるだけ。私は幹事長によく反発した。ブレーキをかけたことになる。今まで事故がなかったのが不思議な位だ。

 実家に変化の兆しがうかがえはじめた(入会して10〜15年)。横浜から友人6名と行ったところ、今度豊実に行くのはいつかと聞かれた。私は、実家の用事が終わってからと流した。

 この辺から先が見えてきた。地域の活性化という言葉が良くでるようになった。私は、仲間の動きにただ感心するばかり、この人達はなぜこんなに一生懸命なのだろう未だによくわからない。

佐藤 最近は変わりました。

遠藤 世渡りのへたなケンタロー氏を理解してもらうのが早いか遅いかの違いではあるが、超保守的な村社会のなかにあってはもうちょっと方法があったのでは、私を含めた会員にも同じ事が言えるのではないだろうか。私はあらためて、自分の夢を実現した人(彫刻家に造園業に)と一生に一度の人生を共有して生きたい。

遠藤さんの変化

佐藤 遠藤さんが前に倒れまして、よく回復されました。人生2度生きているようだと思いますが、あれを境に大きく変わられたように思います。仲間も同感されているようです。丸くなったと言うか、人間的に幅が広められたように思います。

遠藤 私も病気には勝てず半身不自由な中、ベットで遺言を書きました。これからはスローライフでと決め込んで、体力と時間が伴えば地域社会のための生活にと決めた。

佐藤 それにしてもよく木に登りますね。定年前に造園業に転職されました。どうですか。

遠藤 私ほど恵まれた人間もめずらしいだろう。親、兄弟、子、孫、友人、知人、職場、町内会の人と人の和に恵まれた。

殺伐とした現代社会にあって、好きなことを職業として出来ることは幸福なことです。木登りは子供の頃、山フドウやアケビなど木の実を取りに行って覚えたもの。

佐藤 遠藤さんと言えば菊つくり、菊つくりと言えば遠藤さん。あるとき学校で生徒に教えるとき窒素、燐酸、カリの話をされました。もう一度聞かせてください。

遠藤 菊造りは今の自分の性格であると言っても良いでしょう。菊造りは子育てを同じと言って人間造りとも言います。もう一つ《天地人》と言った規格があります。<天の花><地の花><人の花>この三つの花がバランス良く調和して咲いたとき最高の花となります。天は時の運、地は地の利、人は人の和と言って、昔は戦に勝つための条件だったと。現代は、物事を成功させるための条件だとか。

肥料の3要素 

N チッソ  葉や茎を 

P リンサン 果実を

K カリ   根っこを

 

ばあちゃん

佐藤 いつも私の庭の手入れをしていただき、母は遠藤さん遠藤さんと感謝しています。

遠藤 マサバアちゃんは私のマドンナ。
タクアンとお茶が田舎弁で何でも話せる人、時間がなくおもい通り手伝いが出来ず残念、開会が楽しみでならない。