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2017.02.14
佐藤賢太郎との対談14
「振り返り」(時崎庸二)             実和彩館にて 

佐藤:この度、スコップボランティアに参加ありがとうございました。主催がコスモ夢舞台、阿賀町、新潟県雪対策室になっています、会員の時崎さんが来てくれて形になります。ありがたいです。

時崎:しゃべる[スコップに掛ける言葉]だけで、何もできないけど来ちゃいました。

佐藤:ところで時崎さんは何歳になりますか。

時崎:80歳、傘寿になります。

佐藤:凄い!時崎さんのその行動が素晴らしい。どうしてスコップ参加するようになったのですか。

時崎:何時も家内とホームページを見るのを楽しみにしているんです。スコップの事は知っていたのです。参加することが出来ないなら、スコップを私が用意させてもらおうと電話しました。大塚さんがスコップに参加するのを知って、雪の豊実を見にでも行こうかと同行させてもらいました。

佐藤:若いというのは年齢でなく、好奇心、損得のそろばんをはじかず、夢や意欲をもっていることだと思います。その点、時崎庸二さんは若いです。私は会員の皆様にそれぞれ、お世話になってここまで来たと思います。時崎さんに私は独自の思い出があります。私が彫刻家になる転職を決意したとき、餞別に(私の恥ずかしい作品ですが)作品?を買って頂きました。また個展の度、折につけ私の作品を買っていただき、応援してくださいました。それから私が外国に出かけるときは必ず成田まで車で送っていただいたことを思い出します。さらにはコスモ夢舞台建設のフォームでは様々な金属物を無料で作っていただいたこと。そして何と言っても私がガンになったとき、そっと川竹文夫さん「ガン治る12か条」を私に下さったこと。以来ビワの葉を送っていただき、励ましの言葉の電話も頂きました。命の恩人かもしれません。思えば、私はものすごく、お世話になっています。

時崎:私は出来ることをしているだけですよ。私は気の置けないつきあいをさせて頂くことが私流なんです。結構長続きしているんです。出来ないとも言います、そういう間柄の関係がいいですね。甘えてください。佐藤さんが出版した本を買って、友人に差し上げると時崎さんの写真を発見して、「なあんだ、自分の宣伝か」などと笑います。何でそんな人と、お前は知り合いなのだとも聞かれることもあるよ。

佐藤:時崎さんはあまり自分の考えを言わないこともあります。シャイなのですかね。人生あと100年生きることもないでしょう。それにこうしてコスモ夢舞台に十分貢献しています。私には、自分の考えをズバリ言います。だのにこうして文章にするとなると、偉そうにしているようだと言うけど遠慮しなくていいと思います。

私なんかどうなるの? いつも稚拙ながらも頻繁に文章を書いています。偉そうですか? たとえそう見えたとしても、いいのです。私の書くということは実践がないと書けませんね。やっていないことはなるべく言いません。それに、皆さんに自分の考えを明確にしておきたいからです。

時崎:私は文書を書く能がないと思うのです。そのくせ恰好をつけようとするから便箋を何枚も無駄にして最後は止めたということになります。家内から素直に書けばいいじゃないとよく言われるんです。

佐藤:時崎さんは柿もぎの執念があります。以前、夫婦そろって夜、懐中電灯をつけてまで、柿をもぐ、そして遅くなったのにその日のうちに春日部に帰り、翌日から干し柿作業をしている。これも凄い。普通ではありません。よっぽど干し柿つくりが好きなのですね。それを私にたくさん送ってくれ、皆にも差し上げたことがありました。

時崎:夫婦で干し柿つくりが好きだからです。徹夜でも皮をむいて作るほど好きです。

佐藤:冷蔵庫開いたこと一度もないと言っていますが、自慢になりませんね。奥さんがこの世にいなくなったら、あなたは生きてゆけませんね。それだけ奥さんに世話になって生きていると思います。これは確かなことです。私なんかいつも家内が言うには「私が居なくなったらみじめです、料理を作ってください」と言われています。

時崎:そんなことありません、ビールを飲まないから冷蔵庫を開けないのですよ。

時崎:最後になりますが、言いたいことがあります。豊実は不思議なところです。ここに来ると必ず縁のある方に出会うということです。不思議ですね。大きな感動をお土産に頂いて、いつも春日部に帰るのです。