2017410
佐藤賢太郎と時崎絹代さんとの対談(16
絹代さんとの縁 

佐藤:絹代さんとは、そんなに昔から長い付き合いがあったわけではないのです。新潟県の佐渡出身ですが、家内は絹代さんがガンで入院したことも知っていたようです。
私が教師を辞めて彫刻家に転職する時、恥ずかしながら餞別に私の作品を買ってくださいました。時期は定かではありませんが、時崎庸二さんも独立して間もない時期であったと思いますが、どんな気持ちでしたか。

絹代:主人は昭和54年頃、今から約40年前に勤めを辞めて自分で仕事をするのが夢だと言いました。それを聞いた時はとてもショックで、どうしてと思いました。営業成績も良くて、役職もそれなりで何不自由なかったからです。でもその頃、夫は機関車で妻は客車という言葉を聞きました。主人を信頼してついて行くしかなかったということです。

佐藤:それから捨て犬や捨て猫を拾ってきてよく面倒見ていました。それも怪我した犬や猫の世話をしていました。なかなかできないことですね。

絹代:捨て犬と猫を20匹ぐらい拾いました。捨ててあったという話を聞くだけで拾って来てしまします。里親を探して、去勢費までつけて何匹かもらってもらいました。一番思い出すのは、交通事故に会った瀕死の状態で道路をいざっている犬をみつけた時でした。何日か迷っていいたらしいですが、見て見ぬふりが出来ないのです。息子と病院へ連れて行きました。医者は飼い主さんが見つからないと手術は出来ませんと、私はお金を払うから手術をしてほしいお願いしました。我が家に戻ってきた犬は、しっぽは切られ、1本の足はぶらぶらで3本で歩いていました。脊髄をやられていましたから、たれ流しです。とても利口な犬で、人間の顔をずっと見ていて、何を言われているか分かる様でした。朝晩2回排便と排尿を押し出してやるのが主人の仕事、力がいるので私にはできません。それを7年間毎日やりました。この事を、ある新聞社が取材に来て新聞に載せてくれました。記事を読んだ方から、ボロ布が送られてきたり、手紙の中に5千円入れたりして下さった方もいました。その犬にある時奇跡がおきました。ぶらぶらしていた足の筋肉をマッサージしていたら、ある時、足がピンと立って4本で歩いたのです。医者は、これは飼い主さんの愛情です、と言っていただきました。その犬もガンになり、安楽死させました。

佐藤:独立して仕事をすることは難しいことですが、寝ないでも仕事をしたこともあったと聞きますが、順調にこれまでやれたこと、奥さんの努力は勿論ですが、私は二人とも動物を大切にするその心があっての事と思います。

絹代:主人が独立したのは50歳で平成元年、マイナスからの出発でした。お客さんもゼロから一軒ずつふやしていきました。営業に出る主人の後ろ姿を神にも祈る気持ちで送り出しました。夫婦の仲が良ければ商売はうまく行くと聞いていましたので、喧嘩はできない。また、事故にもつながってもいけない。商売を始めて今年で29年、交通事故もなし、病気したこともなし、一日も休んだこともありません。これも感謝です。

佐藤:コスモ夢舞台のイベントに時崎庸二さんと時々参加していましたね。特に親しくなったのは、わざわざ柿を取りに春日部から豊実にお出でになったころからの印象がありました。

絹代:主人も一人で仕事をしていると、豊実に行くのが気分転換になり、とても楽しみの様でした。最初は一人で行っていましたが、いつの頃か私も一緒に行くようになりました。大変な思いで頑張っているマキ子さんの姿を見ると私等の足元にも及びません。すばらしい奥様の働きを見させていただき、いつも反省して帰ってきました。豊実に行って皆様にお会いするのが楽しみになりました。

佐藤:何といっても私がガンになったことをきっかけに、絹代さんと信頼関係が生まれたことでしょうね。ガンの取り持つ縁ですね。私がガンと聞きどう思われましたか。

絹代:佐藤先生がガンと聞いたのは、浦和での食事会に参加する前でした。佐藤先生のガンの話が皆さんの前で始まった時に、ガン、イコール死の様な話になりそうだったので、ガンは治る、医者の言うことを聞いたらだめだと、内心思ったのですが、皆さんの前で口に出せません。帰り際に川竹先生の本をそっと渡しました。一冊の本から川竹先生の教えに気付き、即実践されたと言う方は他にはいません。流石佐藤先生です。

 佐藤:絹代さんご自身もガンになって、病院の屋上から飛び降りて死のうかと思った時があったそうですが。

絹代:私がガンになったのは42歳、胃がんでした。丁度主人が仕事を始めた頃です。胃を切除しましたから、食べ物食が入っていきません、体重も10kg減りました。苦しくて、病院の4階から飛び降りたら楽になると頭をよぎりました。

その頃はガンの知識等はありません、医者に言われるままに抗ガン剤をやりました。吐き気で食べられず、どんどん衰弱し、思い切って抗ガン剤をやめました。今思えばそれが正解でした。

佐藤:絹代さんの周りにガンになった方が多くいました。その人たちに、とても尽くしていたことを見てまいりました。私も食事を御馳走になり、思い出があります。

絹代:なぜガンになったのか、原因あっての結果です。当然自分で造った病気です。自分で造った病気ですから自分で治すのです。あらゆる事をやりました。尿療法、ビワ、スギナ、ドクダミ等々、ガンに良いと言う事はやりました。私はガン患者と会って話をすることが大好きです。そして、どうして治したのか聞きます。人それぞれ治し方全部違います。二人の方に聞いてみました。

一人の方は悪性リンパ腫、東大病院に入院して余命いくばくもなく、見舞いに行ったときはこの世の人とは思えない、薬づけで無菌室を行ったり来たり体はブヨブヨでした。しばらくして、その方に会った時にはすっかり良くなっていました。その方が言うには、主治医とケンカして逃げ出したとの事、今迄お世話になった方へのお返しは、自分が元気になる事と、感謝の気持ちで町内を朝早く歩いたそうです。食事でもサプリでもない。

あと一人の方は、同級生で今でも年に2度程お会いします。やはり食事でもサプリでもなく、すっかり病気を忘れていたと、肺がんの方です。信じられません、心を変える事によって、体の中では医学では説明出来ない不思議なことが起こるという事を知りました。

佐藤:ビワの葉をよく送っていただきました。私も一度取りましたが、もぎ取るのも大変ですね。ありがとうございました。そして、「佐藤さんはガンになっても治る人です」といつも電話で励まされました。本当に嬉しくなりました。何時もホームページを開いて下さり、その反応をありがたく思います。

絹代:1ケ月か2ケ月に1回、ふくろうたよりが送られてきます。ホームページに載せられた文章もあり、佐藤先生の文章は考えさせられ事があります。だから、私は3回読み返します。とても勉強させられます。前向きに実行していなければ毎日あのような文章は書けません。いつも楽しみに読ませていただいております。