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2003.6.23

佐藤賢太郎との対談

  「命と死後の世界」(鈴木隆雄)          佐藤賢太郎宅

 29年前、数学の教員免許を取得するため芝浦工大の夜間大学に通っているとき、同

じ目的で受講していた鈴木隆雄さんと出会いました。将来、教師を目指すなら私の勤め

ている小松原高等学校に来ないかと薦めました。そして現在の学校の教員になられ、以

来、鈴木さんとは永いお付き合いをしています。

彫刻家として独立した1、2年目でしたか、とうとう一円もお金がなくなり、明日からどうし

ょうとかと困まり、鈴木さんにお願いして作品を買って頂いたことは今でも忘れられません。

その後も、物心両面でさまざまな支援をしていただいている私です。何より人間と人間の

信頼が鈴木さんとの絆だと思っています。

 

命、守られることとは何か

佐藤 思えばずいぶん永いお付き合いになりますが、いろいろな思い出がありますね。危な

いこともありました。独立してまもなく、長野県の安曇野で個展を開きましたが、その際、4ト

ントラックで作品搬入を手伝っていただきました。夜、出発して碓氷峠ではとても眠い時間

なのに、恐い道のため、眠気がふっとんでしまいました。さらに、鈴木さんの運転はトラックに

慣れていなくて、ギヤがうまく入らなく、バックと前進が反対になって焦ってしまいました。憶え

ていますか?

鈴木 いゃあ、憶えていますよ。豪雨の碓氷峠を4トントラックのアクセルとブレーキを踏み換

えながら、センターラインだけをたよりに夢中で運転していました。たしか穂高に住む医師の

庭というか病院駐車場での個展でしたね。賢太郎先生が岡崎から埼玉に帰ってきてすぐで

したね。賢太郎先生に出会って29年になりますか、あっという間のようです。

ただ、ひとつひとつ振り返ってみると、積み重ねた時間の長さを感じますね。笠間へ石の

買い出しに行ったこと、画廊や美術館への作品の搬入・搬出など、その時々の場面に居

合わせた作品、人、街の風景などがところどころ思い出されます。

佐藤 人間の命は若くして閉じる人もいるし、私の父のように戦争で鉄砲の弾をくぐり抜け、

何度も死線をさ迷いながら生き残る人間もいます。この頃、そのことが単なる偶然ということ

ではないように思えてきたのです。鈴木さんはどう思いますか。

鈴木 私は、早くに両親に死なれ、否応なく死・生観を身近に思わざるを得なかった。

人間の生と死についての想いは人一倍強く感じて生きてきたように思います。

生きる命の時間は人それぞれですが、自分の命が何時燃え尽きるのかは自分ではわか

りません。この世に生を受けた命は、それぞれ使命をもって生まれてきたと言います。生死の

境をくぐりぬけて生きてこられた人は、その先に成すべき事がまだあったからだと思うのです。

佐藤 ところで、今の夢舞台にたどり着く7年間、無事故ということは本当にすごいことです。

奇跡かもしれません。そのことをよく棟梁の大野さんと「誰一人、怪我をしないできたのは最

高だよ。どんな良いことをしていても作業中に誰かが大怪我をしたら夢舞台建設も終わりだ

ったね」と話すんです。作業中に大野さんは皆が怪我をしないようにと大変心配してください

ました。

悠悠亭作りから始まって、ずいぶん危ないことがありました。悠悠亭建設では台風の最中

での作業がありました。材料の杉丸太を運ぶため隣村に森さんと山の尾根をトラックで行き

ました。山から滝のように流れる水。いつ土砂崩れがあってもおかしくない。無事戻れるか、

危機感、緊張感一杯でトラックを走らせました。ありがたくも無事守られました。あの時も、

私が気合を入れていることによって災難から守られると念じ祈りました。

高速道路を走るときでも、事故がないようにと祈りました。それぞれ大切な身であり、いわ

ゆる遊びではないまでも、夢追いに同伴してもらうわけですから、私には重い責任がのしか

かっていました。ですから無事であって欲しいと願っていました。強い思い入れというものが運も

左右するのかも知れないと思ったからです。鈴木さんどう思いますか。

鈴木 振り返ってみれば本当に冷や汗の連続でしたね。思うに、遊び心とはいえ、夢に向

かって何かをやろうとしての思いが集中したとき、そして全知全能が集中したとき、外乱を跳

ね除けるだけの何かが人に宿るよう気がします。緊張感がエネルギーとなりバリアーとなって怪

我や事故から身を守るとか。

ふくろう会の場合には、その時そのときメンバーが一丸となれたし、一人一人の心に隙がな

かったから外乱に負けることなく、これまで来れたのだと思います。一丸となる条件がそろってい

たようにも思います。

大野さんをはじめ、小板橋さんという技術を持った方もいて、丸太を組むときも屋根を杉

皮で葺くときにも、しっかり足場を組んで、命綱で体を確保してと、細心の注意をしながら

の作業でした。何よりも、全体をまとめ、一丸となれる体制づくりにいつも腐心している賢太

郎先生の念力を感じました。

佐藤 思い返しますと、私は仕事や体調不良、車で命にかかわる危険な紙一重のことを

何回も経験してきました。そして55歳になって、人間の意思ではどうにもならないものがある、

自分の意思を超えたものによって物事が決まる、そのような存在があるのではないかと考え

るようになったのです。それは大いなるものの力が作用する。つまり、神とか、先祖や目に見え

ない守護霊のようなものも作用しているのではないだろうかと思うのです。

 科学者のアインシュタインは「もし宇宙に意思ありとすれば、意思の発動者があるはずであ

る。非人間、カミというほかなかろう」と言っていますし、湯川秀樹博士は「科学は宇宙のあ

る絶対のものとつながっていることを否定し得ない。これ以上は、科学者としては言えない

……」、心理学者宮城音弥さんは「科学的真理として霊界は存在する」と言っています。

鈴木さんは以前から宗教を学んでいるようですがどうでしょうか。

鈴木 霊のことについて私はよくわからないのですが、人として生まれたときに、その人の精神

に宿り(或いは精神そのものか)、その人の生き方や命を決めていく何かでしょうか。

その人が行動を起こすとき、外界と出会ういろいろなものの縁に触れて成っていくのも、偶

然が起こったり、運が開けたりするのも、その人のもっている精神作用(願い)と行動力(肉

体)から起こるものではないでしょうか。命が守られるのも、未だ成すべき事があるから、命のエ

ネルギーが燃え続けているのだと思うのです。

佐藤 宗教を考えることは深い人間の生き方、哲学であり、科学でないでしょうか。宇宙

存在について、極微物質の存在、森羅万象の極地を考えることだからです。

私がインドに行ってみたいと思ったのも、東洋の哲学を生んだ大地、その人間の子孫を

見てみたかったからです。

人間細胞はおびただしい有機物や何十億の原子からなっています。これが生命体になっ

たり、もの言わぬ物質になったりする違いはどうしてなのか。今まで、私はそうしたことを考えて

きませんでした。

 ところで、昨年のふくろう会のバスツアーでは、私の判断で、渋る運転手万治峠登山口ま

で大型バスで入って欲しいと強引に頼みました。皆さん、はじめは感動の声、それがまもなく

悲鳴の声に変わり、前代未聞の危険なバス走行になってしまいました。さらにその後、Uター

ンはできない事がわかり、深刻な一大事となりました。前を進むだけでも大変なのに、残され

た答えは車幅いっぱいの崖道をバックで帰るしかないという現実でした。

私は自分の判断の甘さに強く責任を感じました。バスの運転手にお願いし、大塚さんと二

人で必死の誘導をしました。あと一歩で崖下や溝に落ちるようなところもありました。さらに、

後ろ歩きをして誘導中、私は溝にはまってひっくり返り、危うくバスの下敷きになりそうな場面

もありました。バスが溝にはまっただけでも新聞沙汰になり、村は大騒ぎ、命にかかわるような

ことになったら、それこそ新聞の全国版で、無謀な主犯佐藤の名前や皆さんの名前が公表

されたでしょう。

ですから無事に戻れたときの感動、安堵は近年にない凄い体験でした。なぜ無事に帰れ

たか。私は偶然とか運がよかった、運転手や大塚さんと気合を入れて誘導したから、他の人

も無事を祈っていたから。それらの念じる力も大きいものですが、それだけではないと思うのです。

しかし、生きている人間の力、想いを超えた力が作用して、紙一重(神ひとえ)を決するものが

あると感じるように思えてなりません。

鈴木 仏教用語に一念三千という言葉があります。一つの想い(願いとか・信念とか・祈りと

か)が三全大世界に伝わると言います。もちろん、その願いを発する人にもよりますし、願う内

容が普遍的なものであるとか、大衆から支持されるものであるとかにもよると思います。三千

大世界とはいかなくとも、ふくろう会の夢・願いは、気持ちを一つにして創った夢舞台を、豊実

から日本全国に向けて感動ある人間交流を発信したいと、よく賢太郎先生は言っています

よね。

その願いこそが、行動を起こすとき、神がかり的とか奇跡的な(大げさですが)運を切り拓

いていくように思えるのです。

よくわからないのですが、運があるとか奇跡が起きるとかは、その人のもっている精神作用と

行動力つまり、生命力(魂)がそうさせるのではないかと思います。命が守られるのもその生命

力の発する“気”というものでしょうか。

 ところで、今回の対談で生、死、または霊の存在とか初めて話されましたが、ふと思ったので

すが、賢太郎先生が石彫に惹かれたのは、道祖神や石仏の写真を見て訪ねたから、と聞

いた記憶がありますが、その事と何か繋がっているように思います。

私なら、道端の道祖神をみて、その脇に椿や露草か何かが咲いていれば感傷的な思い

にはなっても、石を彫るといった発想は起こりません。賢太郎先生の石の作品には、誰もが

ぬくもりを感じると言っています。そのぬくもりはどこから出てくるのか。それは、賢太郎先生のそ

のような魂から湧き出てくるものと思います。

佐藤 そういっていただくと恐縮ですが、大学4年のとき就職活動もせずに、路傍の石仏を

見たくなって、ふらりと秩父へ行きました。鈴木さんに指摘されるように、もしかして、ずっと以

前から縁があったのかもしれませんね。そして、その石仏に惹かれる思いが石を彫る原点でした。

鈴木 ヱスビー食品陸上部が、北海道土呂町での合宿中に交通事故で命を落としたマ

ラソン選手のために、鎮魂のモニュメントを創りましたね。監督の瀬古さんが賢太郎先生の作

品をみて「なんとも言えないやさしさを感じます」とおっしゃったそうですね。

佐藤 鈴木さんにそう言われてみると、人の命にかかわる鎮魂の彫刻を作る、ということはただ

事でないと今更のように感じます。瀬古さんにとっては痛恨の想いがあることです。亡くなった

方の遺族、本人の霊はどう見ているのでしょうか。制作依頼を頂くとき、画廊の社員からは

「こういう仕事は、有名である無しではなく、佐藤さんのような生き方をしている人に作ってい

ただきたい」ということでモニュメントの制作依頼をいただきました。

鈴木 そうした話を伺いますとなおさら、賢太郎先生が道祖神や石仏を見て彫刻家になっ

たという縁の不思議さを感じます。

佐藤 先ほど、魂という言葉を出されましたがこれは心とは違うもっと見えないものですね。

魂は人間には勿論あると信じられますが、ネコだって、犬にだってありますね。あらゆる物質に

魂はあると昔から人間は感じてきました。

ただ、現代社会ではそういうことを感じなくなっている人間が多くなったということでしょうか。

ネコを殺したりすると祟られると怖れますよね。やっぱり魂とか霊の存在を考えるからではないで

しょうか。迷信などということではないと思います。

そして昔から山の神、石の神、諸々の神を敬い奉りました。道具にも正月はしめかざりを

します。花に「ありがとう」の声をかけると立派な花を咲かせるといいます。つまり人間や動物

以外にも物質でも魂はあるということではないでしょうか。

 

死後の世界について

佐藤 般若心経というお経がありますが、その中でもっとも有名なのが色即是空、空即是色

というところだそうですが「存在とは無、無とは存在」ということだそうです。死があるから生を考

えるということでしょうか。ぎりぎり生死の境にあればこそ感じられるのでないかと思うのです。

インドのアグラ城の天守閣に上って遥かタージマハル城を見ていたとき、野良犬が座って

じっと彼方を見つめていました。私はこの犬は以前、人間だったのではなかろうかとふと思った

のです。仏教には輪廻という考えがあります。死んだらすべてが終わりではなく、何百年後に

めぐりめぐってまた人間に生まれたり、動物になって生まれたりするということです。どう思います

か。

鈴木 確かに仏教で言う輪廻転生の思想ですね。生まれ変わり死に変わりし、時空を超え

て生きている。人間の生命は無始無終、生き通しのものであるといってます。

今ある全ての生きとし生けるもの存在は、本当に不思議だと思います。私たちは、当たり

前に空気を吸い水を飲んで生きています。

大宇宙のビッグバンによって地球が誕生したといわれていますが、地球の誕生そのものが、

根拠があってできたものか偶然なのか。地球は太陽の光をもらい全ての生き物の生命を育む

大前提です。理屈抜きに、この宇宙の営みの中で私たちの命が生かされている。

賢太郎先生は、今「空」のことについていわれましたが、仏教の悟りの根底となるものは、

「空」の心理であるといわれています。ただひといろの空であるということだそうですが。

物質をつくっている最小単位である素粒子よりも、もっと根源的なもので、すべての物質や

そのはたらきをあらわす根源の力であり、この世界をつくっているただひとつの絶対的存在であ

るともいっています。ほんとうに不思議に思いますが、今、自分がここに存在していることも、こ

の世界であらゆる物事が起こり、関係変化するなかで輪廻しているのでしょうか。

佐藤 小さいころ、死んだら地獄行きと天国行きのコースがあって、ことに地獄行きはつらい目

にあう、生前に善い行いをしないと泣きを見るよ、と教えられました。死んでからもまだまだある

んだということです。

今までは、死イコール灰のようになり、何もかも消えるとしか考えてこなかったにしても先祖の

いき方が私に影響を及ぼしている。これは誰でも信じられるでしょう。先祖の先祖のまた先祖

の血の流れを受け継いで生きている私達です。見えない世界からの力が作用するということは

確かだと思うのです。

鈴木 私もそう思います。ある私たちは、遠い祖先から代々伝わるDNAをもらっていると思

うのです。遠い祖先が何代もかけて経験した情報を、もしかしたら見えないものを見る目や危

機を察知する能力だったり、つまり生きるための知恵とでもいうのでしょうか。

佐藤 父はご存知のように脳梗塞で倒れてから体が不自由になり、杖を突いてやっと歩ける

状態です。過日、郷里で薪運びを家内と二人でしておりました。父はそんな体でも外に出て

付いてきます。そして黙ってイスに座り私達を見守っています。やがて父があの世に旅立っても

こうして、私達を先祖としてこのように見守ってくれているのだと心より思いました。ここに先祖の

霊を今の父の存在を通し現実にあるのだと思いました。

 4年前、私は倒れました。あれ以来、私の命はどうなるかわからないという緊張感がありました。

自分の意思ではどうにもならないものを感じたのです。

人の出会いも自分の意思を超えた力、導きによるものがあるということです。それが実は非常

に大きいウエイトを占めているのでないか。自分ではかなり頑張っているつもりでも、実は自分

の努力や意思だけで事が運ばれていることはごくわずかではないと思うのです。それは何なの

だろうか。何かによって夢舞台に動かされている私なのかもしれません。

今回は、今までにない質問を唐突にさせていただきました。戸惑ったでしょう。これからは、も

っと皆さんとこのようなことも話していきたいと思います。

鈴木 今日は、作家佐藤賢太郎先生の違った一面のお話ができて、たいへん勉強になりまし

た。ありがとうございました。