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        2006.1.3

佐藤賢太郎との対談

  「仲間たちとそのベクトル3」(加藤稔)   豊実の自宅にて


加藤さんは電気配線工事をされるスペシャリストであり、奥さんと私が従兄妹とい

う親戚関係にあった。しかし、長い間付き合いはなかった。

ふくろう会館建設のとき初めて参加され、オイルステンを塗るその働きぶりにみなが

驚いた。以来、電気配線工事にこの人がなくては夢舞台施設が完成しないほど

大切な会員となった。

 

佐藤 正月の休みに雪の中をありがとうございます。

加藤 今日と明日しか1月は休みがないので、約束のシアター工事に来ました。

こんな日に寄せてもらい悪いね。

      (それからずいぶん酒が入り、今までにないほど話がはずんだ)。

 

天網恢恢疎にしてもらさず

佐藤 加藤さんはふくろう会の建設でも汚れ仕事や、厳しいところを黙々とやって

いただいていますが、奥さんが働いてばかりいて休まないといっています。損得なし

に仕事をしているのではないですか?加藤さん、夢舞台の施設を自分の別荘と思

って使ってください。

加藤 「天網恢恢疎にしてもらさず」というじゃないですか、お蔭様でいつでも泊ま

ってくれというところがあるのです。相手が困っているとか、相手のことを思って損得

勘定なしで働いてしまうことがあるのです。

佐藤 一般的に言って「天網恢恢疎にしてもらさず」という諺は悪いことをすれば、

人は欺けても天は見逃さない、必ず罰は受けるという意味に思っている方が多い

ようですが、それだけではないのですね。よい行いをすれば人は見ていなくても、天

はそれも漏らさないということが故事諺辞典に記されていますよね。

  私の彫刻の師匠鈴木政夫先生もよく言っていました。人は見ていなくとも、こつ

こつやっていれば天は見ている。その結果は必ず出る。努力やよい行いをしておけ

ば必ず天は見捨てないものだと、修行中の私を励ましてくれたものです。私はつら

いときそう思うことにしました。しかし、少し環境が楽になると私なんか直ぐに、わが

思いが出てしまうところがあります。

人を欺いて得をしたなどと思っても、人生において、自分の代だけでなく子孫

の代まで考えた場合、絶対差し引きはあるのですね、。努力や徳を積むという

のは目先の利益にすぐつながらないかもしれないが、確実に貯金をしているの

だと、そう信じたいですね。現代は要領よく儲ける、目立つ、これが価値の高いよ

うになっていますね。

修行中、独立したばかりの頃、家内はよく今は天に貯金しているときと言って自

分たちを励ましたものです。

加藤 「天網恢恢疎にしてもらさず」、ですよ。天は必ず見ている。

 

ベクトル

加藤 ふくろう会は能力のあるいろんな方が集まっている。私は数学が得意では

ないが、佐藤さんと会員の関係を思うときにベクトルを考える。みんなそれぞれ一人

一人、力と方向があるベクトルを持っている存在だと思う。

佐藤 今までいろんな会員と話しをしてきましたが、会員と私の関係をベクトルの

関係という言葉を使ったのは、加藤さんが初めてですね。

加藤 それぞれが能力あるベクトルをもって存在する。しかし、それぞれがばらばら

な方向を向いている力でね。ベクトルが180度まったく反対の方向であったらどうな

るか。

佐藤 同じ力なら0となりますね。家内は初め、コスモ夢舞台に反対していました。

しかし、今までの人生の選択でも、まったく反対の方向でなかったベクトルの合成

でやってきたと思う。まったく同じではないし、まったく反対方向でもなかった。方向

が90度違っても合成すると45度の方向に向いています。つまり私と家内の合成

したベクトルによって今日があると思う。

加藤 つまり、私が言いたいのはそのベクトルの合成と言うのですかね。佐藤さん

が45度の方向にベクトルを向けているのが佐藤さんのふくろう会での存在だと思う

のです。

佐藤 そうですか、そうですね。みんなのベクトルという力を生かし、合成して新たな

ベクトルを作る、それがふくろう会であり、コスモ夢舞台でもあるのです。

 

人生の集約としてのコスモ夢舞台 

佐藤 加藤さんは夢舞台に夢を持っていると思うのですが。たとえばホームシアター

をつくる、カラオケ機器を設置するというのも、頼まれてやったわけでもなく、自分から

のここでの夢実現なのでしょう。

加藤 私が興味深いのは、こんなに夢を共有し、ある方向で築きあげることが素

晴らしいし、一人一人が生かされるというところに良さがあると思う。

佐藤 私の財産は、宝はなんだろうかと思うと、やっぱり、語り合えて信頼しあう友

がいるということです。つまり、コスモ夢舞台の3つのこころですね。感動ある人間交

流です。人生50年以上生きて還暦を迎えようとしたとき、人間としていろんな人

と出会い、経験し、勉強もしてきたわけです。私はその人生の集約として、モニュメ

ントとしてのコスモ夢舞台にたどり着いたのです。

加藤 私もこうして今まで知らなかった人と出会い、夢を作り、語り合える仲間の

集まるところをもっているということが、宝ではないかと思う。

佐藤 会員の桐山さんも、将来、いつまでも夫婦で生きていると言う絶対保証は

ない。そんな時、語り合える故郷、ホームがあるということは宝ではないかと、コスモ

夢舞台を展望していました。

 

野菜つくり

佐藤 加藤さんは宅地に野菜を作っています。それもトラックで運ぶくらい

その畑と称するところから石がたくさん出てくるそうです。どうして野菜をつ

くりたいのですか?

加藤 それは、小さい時、家が農家をしていて野菜も作っていた記憶があったから

だろうと思う。何でも買ってしまう現在、野菜も買って生産をしなくなるという日本

の精神風土は危険じゃないか、とも思う。それもあるが、自分で種をまき、芽が出

て、育て、成長し、実を結ぶ、そして自分で作った野菜を食べるうれしさ、この過程

に心がひかれるからだと思う。

佐藤 野菜なんか種や苗、その上、肥料を買って作ると買ったほうが安くなるね。

加藤 それも宅地ですから、税金の高い土地での高い野菜つくりになってしまう。

佐藤 それでも作る、作りたい。それは心の癒しでしょうね。私は小さい頃、母の米

を作る手伝いをしたことがあった。しかし、自分が作る喜びはなかった。何十年か

経って、たまたま蓮田のアトリエに猫の額ほどの土地があって、そこに鶏やウサギの

糞、落ち葉の腐葉土を肥料にしてトマトを作ったら、近年にない美味しい昔のトマ

トの匂い、味がして感動しました。

そんな時、古代米の不耕起栽培にふくろう会有志と参加したのです。耕さず、

化学肥料も施さず、草を刈り、それを肥料にして、太陽と水だけで育てるという

けれど、本当にそんなことができるのかと驚きましたが、関心もありました。結果

は米ができたのです。みんな感動しました。そして、米は買うものとばかり思って

いたが、自分で初めて米つくりをして感動しました。育ててみると植物は正直な

ものでそれだけの答えを出してくれますね。

加藤 人間との付き合いよりも正直かもしれない(笑い)。面倒くさくないところもい

いですね。

佐藤 自分だけの世界が畑の物つくりなのでしょうか。そういうところに魅力もあるの

でしょうね。コスモ夢舞台はこれから「農」も入ってくると思います。野菜も人間も同

じように生かされているものだから「よく育って」とよい言葉かけをすると良く育つそうで

す。まだ実感していませんが、早く体験したいものですね。

これからもよろしくお願いします。