2012.08.30
学んだこと
佐藤賢太郎

今までは、仲間の会員が生徒たちの体験学習を担当してくださったことが多かった。今年は私が体験学習をすることになったが、自分の明暗を分ける学びの機会をいただくことになった。

いろいろな生徒たちが宿泊するが、素直さに欠ける勝手な子供たちは初めから神経が疲れる。素直な子は精神的に楽であるが、しかし油断はできない。そのような子供たちだからこそ、気の緩みから一つ間違えば取り返しのつかない事態が起こり得るということである。私にすれば、まさかそんなことが起こるとは考えもしないことも発生する。

生徒たちにはことに当り、危険を伴うのでうるさいくらい慎重を促すことが必要であることしみじみ思った。もしものことが起こったら、私の運命はその時から暗となる。コスモ夢舞台さえ、閉じざるをえないことになるかもしれない。

自分の病気は命がけで治す努力をしている。それは、病気は暗を明に変えるチャンスだと捉えるからである。ところが生徒を扱うとそうはゆかない。

例えば、今の子供は小さいころから刃物などを持つことがない。全て安全の中で守られ、危険にさらされる機会が少ないので、どこからが危険なのか知る機会を体験していない。

これまでも、いろいろとハプニングはあった。今回も幸いなことに大事にはいたらなかったが、小さな怪我や打撲が続いた。

だからと言って、危ないから何もしない方が良い、体験学習すら受けない方が無難であるでは本末転倒になってしまう。

生徒の安全を何よりも第一に考えて指導に当たらなければならないと、改めて深く肝に銘じた次第である。

もう一つ、悠悠亭で生徒に水遊びをさせることにした時のことである。家内は、そこについて監督しなければならないという。怪我のこともあり、私は終始水遊びする生徒たちのそばにいることになった。河原に横になると小石が背中に当り痛かった。そこで、竹のカーテンを敷いて横になった。見上げると青空を緑の木の葉がドームのようにさえぎり、木漏れ日が射していた。聞こえる音は川の流れるザーという音、セミの声それこそ、この空間は森林浴に最適でマイナスイオンが一杯である。猛暑の夏、午後1時という時刻にさながら天然クーラーの中にいるようであった。そこで少し本を開いていたが寝てしまった。家内が心配で覗いてみたら、私が寝ていたという。こんな素晴らしい場所があったことに、今更ながら感動した。悠悠亭は作っても、ここに来ることはめったになかったし、あまり使っていなかった。これからは、もっとゆとりをもって四季を愛でに来たいものである。

自分の意志ではなく、仕方なく子供たちの水遊びの監督をすることになって悠悠亭の快適さを知ったという経緯である。

物事は自分の意志だけではチャンスがつかめるものでないと学んだ次第である。