2007.08.09
静かな二人の女子中学生と対面

 関東のある中学校の静かないままでにない女子生徒の体験受け入れとなった。
 私はいつものように初対面で返事ははっきり、挨拶はしっかりする事などと言って意思が通じるタイプでなかった。私の性格からしてじれったい事ばかりである。 何しろ色白で太陽に当たることが少ないと言う。声か小さい、食が細い、そして体力が無い。学校を休みがちと言う。つまり集団生活が苦手と言う彼女たちである。

 さてこの子たちに短い期間で何か記憶に残るそんな体験と人間関係が何処まで深めさせて上げられるか、そのスタートとなった。
 到着したその午後、その日高校生の残した石夢工房の天井はりが少し残っていたので、この作業をする事にした。彼女たちはまず2階の掃除、そして天井はりのため私の助手となって垂木を押さえさせた。時にノコギリで切らせたりした。ほとんどしたことが無いと言うがともかくさせた。ついに天井はりは完成した。「よく掃除するね感心する」と言うと「家では掃除は全然しません」と答えた。

 彼女たちは違うところに来たのだという意識があるのだ。夕食は今まで全く知らないおじさんとおばさんと4人で食事をした。感心したのは食事の後片付け、食器洗いを自分からした事だ。
 朝はとても遅く時にはお昼近くまで寝ていることもあるそうだ。いくら違うタイプだと言っても、もちろん此処ではそんなことはさせない。7時までには身支度整え朝食を待つこと、その前に散歩する事と約束させた。翌日はそのようにしていた。

 さて二日目魚とり体験であった。私も小学校以来したことがない、二人のお陰で箱めがねとヤスで渓流に入った。消極的ながら水に入った。箱めがねで覗いていた。
 しかし移動がとっても遅い。私との距離は開くばかりであった。途中出帰ってしまうのかと思ったらついてきた。途中水の中に転んだりしていた。普通ならばキャーとか言う声が出るところ、物静かであった。
 私は言葉でなく自然から学べ自然が指導してくれると黙って川下に下りていった。私も転んだりしてその様子を見てひとりの子は笑っていた。いわゆる表情が見られた。

そのうち魚とりどころでなく、目白(蜂の小さいような昆虫)がブンブン寄ってきて体をさす。痛くてたまらない。ただでも虫を見て騒いでしまう二人には大変であった。川を2時間近く歩いた。このくらい歩かせないと何も残らないそう思って歩かせた。「どこまで行くのですか」と言う。「此処からあがる」と崖のような急斜(面桃源の湯)を指差した。「無理できません」と一人の子が言う。ちょっと上がれるかとの心配はあった。「俺について来い」とロープをつかまりながらまず私が登った。そして後から来る一人の手を引っ張り上げた。すると私も滑り落ちてしまい腰の辺りは泥だらけ。二人も同じく滑り落ちて泥だらけ。予定されていないことに二人の顔色も変ってきた。も一度登ったがすべって落ちてしまった。怪我をしてしまうかもと思った。彼女たちは帰れなくなったと思ったかもしれない。だからとといって元の川を登る気にはとってもならない。

 このコースでは登れないと感じて少し斜面がゆるいコースを選んで上がる事にした。今度は私が一番最後、しりを押した。枝を引っ張りながら上がってゆけと指示した。落ちてきたら私が受け止めるしかない。真剣勝負であった。10メーターくらいであった斜面を見事登りきった。かなり疲れた様子であった。泥んこまみれの服を池に入り洗った。よくやった。体力も無い彼女たちが遣り遂げたのだ。ふだんの生活からすれば天と地の差であろう。この光景を親や先生が見ていたら止めさせただろうか。

 すり傷だらけで食事をした時、彼女たちは言葉が多かった。「怪我していたら大変なことになったね」と大人びた言葉も出た。指導する私が一番感じている。本当にそうなのである。彼女たちも「もうこの経験はいい」と言っていた。「君たちはすごいことを遣り遂げたのだ、私も真剣勝負であった。今日が一番クライマックスだろうね。私もこれ以上はしない。疲れるからね」と言った。翌日彼女たちは朝食私たちの分の食器も洗ってくれた。

皆秘めた力はあるんだ、しかしそれが引き出されないままにしている事が多いと思った。
  彼女たちの一人が家内に言った「ファイト一発と崖で滑り落ちそうな人間の手を引き上げるあのシーンのリポビタミンのコマーシャルを思い出していた」と言う。

 家内いわく今漫画でバッテリーが大人にも人気があるとテレビでやっていた。つまり本気でぶっつかる事の大切さと言う事であった。「多くの人はもしかして本気で人と向たことが無かったのか」との問いかけである。 

 教育とは親も教師も社会も建前だけでなく本気でぶつかることが必要でないか。しかしそれはリスクを背負う事でことでもある。現代は非難される事が嫌で安全ばかりに走ってしまう時代背景である。
 大切な事はもっとあった。魚釣り体験をさせた。一匹も連れなかった。そして糸が絡んで針も切れたしまった。それも一本のさおは借り物であった。翌朝、借りた家古山さんに訪ねて感謝とお詫びをともにした。「ありがとうございました、すみませんでした。」「いいよいいよ」と優しく暖かく返してくださった。人と人の触れ合い、すべき事、ただそれだけである。この体験を子供とともにする事が大切でないか。

 さて人間にとって大切な挨拶である。こちらから「おはよう、お帰り」と言っても返事が返ってこないことが残念だった。そして風呂に親しい友達とも入れない一人一人入る事だ。一緒に入りなさいといっても素直になれず自分の思いを通した。
 家内は黙って家にはいてくるのじゃないとついに怒ったという。一日始まりのおはようも交わさないと人間付き合い気分悪いのよとも言った。そして翌日小さい声だがおはようと挨拶が返って来た。やった。「昨日は気分悪かったが今日は気持ちいいよ」そう家内は言ってた。

最後の課題風呂に一緒に入ろうとしなかった事であった。これも最後の泊った日いろいろの条件はあったが時間が無いから一緒に入りなさいと言った。そしてあんなに嫌がっていた風呂も二人で入り、ぺちゃぺちゃ楽しそうに話していたと家内から聞いた。

風呂から上がり夜とてもよく家内とおしゃべりを夜遅くまでしていたそうだ。そして彼女たちの顔は今までにないとても明るい表情であったと言う。今までできないことを全て遣り遂げた。とても嬉しかった。自然の中で甘やかさせずぎりぎりにおいてあげる事の大切さを感じた。やれば彼女たちは何でもできるのだ。
 最後に家内は又来るかと言うと母と来たいといったと言う。(佐藤賢太郎)