2007.2.13
森紘一
豊かさとは何か

『奇跡を起こした村のはなし』と『地域再生〜行政に頼らない「むら」のはなし』〜を読み終わって、あらためて思うことは、「豊かさとは何か」ということだった。

過疎と豪雪の黒川村(新潟県)に補助金を最大限に引き出し続けて、農業と観光による立国の夢を実現した伊藤村長の行政手腕は立派というほかない。その努力と成果は、これからも語り継がれる村の人々の誇りだと思う。                                                      
 しかし、規模の拡大にともなう生産と消費の循環は、そのメンテナンスをふくめて大変なことであろうと思う。平成の町村合併で大きな母体にくみこまれた小さな黒川村は、この先、地域の特性を生かしていくことができるだろうか。果たして、日々の暮らしの中で黒川村の人々は満ち足りた無事を感じていけるだろうか。

平成16年に政府の農村モデル選定を受けたという柳谷集落(鹿児島県大隈半島)の実践記録は面白かった。賢太郎さんもいうように、地域の規模も豊重(自治公民館)館長の一連のテーマ選定(環境・農業・福祉・教育)も「コスモ夢舞台」に一番近いかもしれない。
 住民の総力を結集したカライモの「やねだん焼酎」の開発や土着菌を活用した自然農業への取り組みなどは、自力による地域再生の面目躍如といったところである。賢太郎さんにも共通する豊重館長のアイディアや熱意、行動力と統率力も見事である。

ところで、黒川村や柳谷集落は豊実に共通することも多いが、リーダーの賢太郎さんは伊藤村長や豊重館長とは違った背景を持っていることが、我々にとっても実に魅力的なのだ、と私は思う。
 おなじUターン組ではあっても賢太郎さんは石彫作家で、行政や経営とは無縁であったこと。さらに、志を同じくする仲間が都市部からちょくちょく集まること。地域の再生とか、村おこしをはじめから念頭においていた集団ではなかったこと。逆に言えば、この辺が「コスモ夢舞台」の特質といえそうである。

 豊実に、仲間内で次々と作り上げたコスモ夢舞台の建物群。今年で4回目になる「里山アート展」や「シンポジウム」。何故、こんな収益性もないことに熱心なのだろうという疑問は、当然のように地元に湧きあがる。      
 農業を体験し、アートをつくることで日々の暮らしに喜びを見つけたい。生き方として「創造的である」ということは豊かさにつながる。さらに、県内外、国籍を問わない人と人の交流が新しいドラマを生み、わずかずつでも地域の活性化につながるのではないだろうか。そんな感慨を地元の人々と共有したいものだ。                                                   
 「コスモ夢舞台」がいよいよ第2章に入っていくことを、仲間の一人としてともに喜びたい。