2011.05.06
フォーラム「震災とコスモ夢舞台」
森紘一

 連休後半のなか日(4日・みどりの日)、豊実はさわやかな五月晴れだった。午後3時、「和彩館」で開かれたフォーラムには15名が集まった。

 スクリーンには「被災地最前線へ向かう」という文字が映し出されていた。はじめに、石巻市と東松島市へ出向いたきっかけや経緯について佐藤さんから話があった。被災地のスナップを多用した写真はどれも具体的で、説明にも迫力があった。

津波の被災に遭われた石巻市の高橋さんは、震災の前日佐藤さんに届いた癒しのCDの送り主で、お互いにガン患者という共通点を除けば未知の関係だったという。

東松島市の大江さんは、4年前、会津坂下で開かれた東北グリーンツーリズムで佐藤さんが講演(「ギリシャ滞在と彫刻制作」)した時以来の知人で、豊実にもお見えいただいているそうだ。

支援やボランティア活動をするにはどうすればよいのか、義捐金や支援物資を被災者の方々に届けるにはどうすればよいのか、佐藤さんは熟慮を重ねて答えを出した。

@代表有志がその地を訪ね、被災者の声を聞くこと。A顔の見える形で物資を手渡すこと。B被災者をコスモ夢舞台にお招きすること。Cこれからの生き方を共に考えるフォーラムで交流すること。4点の方針は、すでにHP上や「コスモ夢舞台だより」で会員に伝えられている。

ところで、震災後しばらく連絡の取れなかった高橋さんの生存が確認できると、佐藤さんは即、行動の人となった。

さて、ここから人とひとの日常的な交流の輪が強固な広がりをみせることになる。3.11後、いち早く支援物資を豊実に送り届けたのがEU・ジャパンフェスト日本委員会の古木修治事務局長。そして、それは佐藤さん経由で奥会津書房・遠藤由美子さんの手に渡り、坂下のしかるべき支援者から確実に被災者へ届けられていった。

そして今回、コスモ夢舞台を代表して佐藤さん、大野さん、御沓さんが被災地を訪ね、床上浸水やヘドロの除去作業のお手伝いをし、高橋さんや大江さんを通して見える形で支援物資を届けていただいたというわけである。

この後、(4月24日〜25日)佐藤さんに同行された大野さん、御沓さんから生々しい感想が述べられた。

「考える前に行動ということで来たバスに乗ったわけだが、現場を見て言葉を失った。

なるほど、佐藤さんはこうやって人とひとの信頼を築いて来たのだと実感した」

「TVで見るのは一場面。被災地の広さと悲惨さには驚いた。本当に復旧できるのだろうかと思った」

『「亡くなった人が多いと涙も出ない。日常が無くなってしまったのは異常だ」という被災者の声が忘れられない。顔の見える交流をしていきたい』

『「今は集団生活をしているから生活物資は何とかなる。支援物資が本当に必要になるのは、仮設住宅に入ってからだ」という声になるほどと納得した』

『「高台へ逃げる子供たちが右と左に分かれて走り出した。でも片方は波にのまれてしまった」という話に、まさに生と死は紙一重のはかなさだと感じた』

『「漁業、海苔、牡蠣は大打撃を受けた。これを立て直さなければ日本の食文化は失われてしまう」地元の漁業関係者からは、そんな悲壮感がひしひしと伝わってきた』

ひきつづき、出席者からコスモ夢舞台の会員として感想と意見が述べられた。

(Aさん)
   中越地震を経験しているが、自分の家が無くなってしまうという立場で考えることができない。どうすればよいのかという実感が湧いてこない。

(Bさん)
   私も中越地震で実家が半壊しましたが、TVで家や町が流されていく様子を見ながら、自分に何ができるかを考え続けています。

(Cさん)
   あれから一月半経つといのに政府はなかなか動かない。自分ができることは何かと、会社や組合やコスモ夢舞台の一人として支援物資や義捐金で協力しているが、これからも復興にむけて真剣に考えていきたい。

(Dさん)
 被災された方の苦しみ、身内を失った方の悲しみを思うと、これからも長い支援を考えていかなければと思います。

(Eさん)
 今回の震災は非常に印象深い。仕事関係で3月10日に被災にあった若林地区に納品したばかりだった。そこで早速、生活支援物資(米や衣料品など)をかなり大量に得意先に届けた。感謝もされたし、何よりも息子が真剣に取り組んでくれたことが嬉しかった。

(Fさん)
 今度の震災はいろいろなことを考えさせられた。これから希望を見つけていけるのか、命を失った方々の悲しみ、心を支えていくことができるのか悩んでいます。でも、息子や娘が、貴重な経験をしたというのを聞いて、何かほっとした気持ちにもなりました。

(Gさん)
 あの日、あの時は家内と家にいました。我が家の棟瓦もやられましたが、TVで見る被災地の惨状は久喜の我が家の比ではありませんでした。支援の在り方を考えていますが、初期始動されたEU・ジャパンの古木さん、佐藤さんの動きには感動しています。これからも長いレンジで顔の見える支援活動をしていきたいと思います。

(Hさん)
 昨年秋、阿賀町で開かれた防災ツーリズムに参加しました。そこでは、平時に心の絆づくりをしていくことが大切であると強調されていました。コスモ夢舞台も田舎と都市との交流を標榜しています。まさに日頃の人間関係、交流が地域づくりや町おこしには必要です。佐藤さん、大野さん、御沓さんが今回現地入りしてくれたことで、我われも被災地の皆さんとつながりました。

(Iさん)
 被災地の皆さんに生きる希望や勇気を蘇らせたのは、一枚の写真やアルバムだったことが多く語られています。私は会社の仕事に誇りを持ってほしいと、社員にも話しています。これからも、できる範囲で支援活動を続け、被災地の皆さんとつながっていたい。

(Jさん)
 はじめて体感した強烈な地震でびっくりしました。まだ、余震に怯えています。義捐金への参加は続けたいが、いろいろなイベントが自粛ムードにあるのは風評被害ではないが止めてもらいたいと思います。

 最後に、佐藤さんが以下の点をフォーラムのまとめとして主張された。

支援活動や義捐金だけでは被災地の方々の心の空白を満たすことはできない。我われとしては、日常的に精一杯の交流を深めていくほかはない。

 そのためには、何もないとところからあるものを利用しながらここまで来たコスモ夢舞台の現状を見ていただくのが一番ではないかと思う。

被災地の皆さんをコスモ夢舞台にお招きして、ともにこれからの生き方を模索するフォーラムを重ねていきたい。そこで、一人ひとりが誇りを持ってメッセージを伝えることが我われのできる支援活動であると思う。

 これからの力作業を伴うビオトープづくりも、そんな覚悟で取り組んでいただくことをお願いしたい。

 今回の東日本大震災とこれからのコスモ夢舞台をテーマとしたフォーラムは16時30分に終了した。