2010.01.12
吉田冨久一さんに答える
佐藤賢太郎

   昨年里山アート展に参加してくださった吉田冨久一さんから私宛に「地球主義による夢の実現」という丁寧な論文のような原稿をいただき心から感謝いたします。最後にあなたの考えをくださいと結んでいましたのでお答えいたします。

私は夢追人かもしれない

吉田さんのように理論的にまとめた文章はできませんが、私の信じるところ、想いを書きます。

そもそもコスモ夢舞台の始まりは友と語らう空間つくりから始まった。はじめから地域おこしとか、ましてやアートによる村おこしではなかった。ただ友と酒を飲み、人生を悠々と語らうことであった。それも廃材や廃屋を生かし、あるものを生かしての立ち上がりであった。それが結論的に申しますと今や「都市と過疎の地域の交流」になってきました。その中には 吉田さんの提唱していた「都市と農村交流」も含んだ希望もあります。しかし現在できるところから形にしています。

吉田冨久一さんは豊実や阿賀町の歴史、村地域の現状をすごく正確に把握され、そして世界や日本の社会の現状について私など言及できないことにも把握されています。驚きです。

悠々自適人間の集まり?

さて身近なことから申し上げますと、フクロウ会(今後コスモ夢舞台会員とします)のメンバーは悠々自適の方ばかりというのは正確ではありません。その日暮らしという方々でもありません、きつい労働をしても、金銭の代償を得ることなく、関東に帰れば明日の仕事が待っている。時にはキツイ労働で、この辺で一休みしたかったと今になって本音を語る現実でした。それを12年やり続けた仲間でした。一番厳しい時もみな現役でした。この仲間がいなかったらコスモ夢舞台はありませんでした。なぜ私はそう動くのか、なぜ仲間は動いてくれたのか、そうした人間の生き方も真実。夢や空想ではない。楽観的受け止めかもかもしれないが、私には心底信じて語り、行動してくれる友もがいてくれると信じている。これが私の財産である。やれる人とともにコスモ夢舞台演出者として登場していただこうと思う。

しかしながら私はメンバーが永続的にと願いたいが、そうはならないと思う。人の心や生活環境は日々刻々変わってゆくから。私の人間性に必ずしも賛同する会員ばかりではないだろう。かつて会員なり、去っていった方もある。一度も豊実にこられることもなく私の夢を応援してくださっている方など、あいまいさを残しながら進むこともある。それでいいのだと思っている。そのときそのとき感動したのだから。

問題提起ですがとても大切なことであります

「私と住民の幸せ、夢は、すれ違ってはいないか、住民の生活から乖離した芸術活動では人々は付いてこない。」とのご指摘ですが、目の前の夢とか幸せなどはとても同一にすることなど期待していません。それは外国人と習慣が違うようなものです。母でさえ私のやっていることに理解などできません。家内にしたって、初めは「あなたの夢と私の夢は違います」とよく喧嘩もしました。今もそうですが。ましてや村人はよそ者の私のやっていることなど「道楽でやっていること、都会の仲間と勝手にやっていることで、地域のためになにをしているの」と見られてきたと思う。何年もそうであった。村に住み着いてから正月の飲み会などのとき、いつも決まって「あなたのやっていることは村を無視してやっている」と槍玉に挙げられていた。「ふざけるな」と叫び、こんなところに来たくないと内心そう思った。

それが段々変化してきた。あなたのやっていることはいいことだ、村の方に連絡してやるといい。と少しずつうれしい風に変わってきた。しかしながら心の底ではすべてよしではないと思う。否定的言葉は出なくなった。日々の村参加の努力、繰り返し何を目指しているのか伝えてゆかねばなるまい。昨年暮に村の定例会に時間をいただき、私の目指すところを具体的に写真入りでお伝えした。何をしようとしているか、何も言っていないというが、これだって冷たい視線を感じる時期は出せるものではなかった。時間はかかる。それでも続けるのはなぜか。そこに人々とともに幸せになる夢があるから。まずは芸術論以前の課題である。

コスモ夢舞台の後継者はいないとの結論について

コスモ夢舞台はよくやっている、仲間がすばらしい、しかし後継者がいるの?後継者がいなかったら、無意味で地域貢献にならないと指摘する方がいます。方程式を解くように、これからはじめてこうしてと計画立案、回答。こんな風に私は考えられないし、そんなことはしたくはない。私は任期が決まっている議員でもないし、地域おこしの指導者でもない。ましてやコンサルタント会社の社長でもない。この時代にどのような生き方がより豊かな生き方なのか、それを実践してみようということなのです。この経済至上主義、過疎の問題、村社会、教育、環境、農業、またマスコミを含めて、これで良いのかということからの行動でもあります。

芸術活動は結論が出るから行うのでない、問題提起や変化を促す機動力でもあると思う。私が動けなくなれば消えてしまうかもしれない、しかしそんなことは心配しない。後々誰かが生き方を見てくれていて、いつかその志に共鳴してくれる人が出たら本望である。そのためにも芸術活動はあるのだろう。今できるところを走るだけである。

EU・ジャパンフェスト日本委員会が派遣してくださった写真家、これは私がお願いして来ていただいたのではないのです。古木修冶さんにしても、計算された設定はなかったと思います。EU・ジャパンフェスト日本委員会とも、理路整然として解って付き合っているのでもありません。過去もそして今も。自分の土俵で相撲をしていたのに、いつの間にか相手の土俵に上がっていた感覚にもなります。それはギリシャに行って彫刻しているときのように。それはマイナスでなく確実に私を広げてくれていると思います。自分の範囲でばかりいるとそれ以上成長はないと思えるようになりました。

話は戻りますが私の精一杯できることで写真家の歓迎会をすることになり、それが村人と私の接点を作るきっかけになった。価値観の違うもの同士が話し合う機会を得たのです。だから方程式のように回答しなくて良いのでないかと思う。

誰に求められるコスモ夢舞台なのか。

それは仲間のため、住民のため、芸術家のため、青少年の舞台でありたい。ひとつではない。決して八方美人的に言ってはいない。私は理想を提言してできるところから仲間と動いている、そして少数の住民とも。

将来に向けた期待

はじめに住民、自治体、地域企業、マスコミ、EU・ジャパンフェスト日本委員会との連携ができて順風のような受け止め方がありました。初めの一歩からすれば前進してきましたが動いていればこそであります。趣味の範囲ではとても続かない。作品を作ると同じようなものです。吉田冨久一さんの言うように、外国人が次から次に来られる、まさに村の人にとっては一大事件でしょう。送り込むのも古木修冶さんの判断でしょうが。

常に先を考え行動する。それは人々の衒いを期待してではない、あるべきことをやってみることです。田んぼ夢舞台祭りは、里山アート展、コスモ夢舞台を地元の方が理解、接点をつくろうと企画したのでありました。資金がない中、吉田さん始め作家の方々にはご尽力いただきました。

まず芸術家に

先にも申しましたがアートは創造を生み出すきっかけの力がある。作品を公募展のように互いが競うことを狙いとしていない。止まったような地域に規模は小さいがアートをきっかけに動き出すきっかけになりうるのか、そこに作家は作品参加で挑戦する価値がある。これは豊実という限定ではない。もっとも動かないような地域に、会場においてこそ、作家の存在は試されるのでなかろうか。

これは絵画や彫刻と限らない、海外の音楽、田んぼ夢舞台祭りの音楽芸能も含めて言いたい。その抽象的なものが里山アート展です。

私は循環型の価値観に重きをおいている。自然、農、食、住居、教育いずれにしても経済優先ばかりに価値を絞らないで、循環型生き方を見直そうとすることです。山や森が荒れたら川や海の魚は少なくなる。山の木も杉ばかり植えないで、自然の形態を残すべき、そして燃料にも使うことこれが循環。田畑が荒れゆく今日この活用、自然に近い食物を食べることによって農の循環をする。めだかや蛍のいなくなった田舎、不自然である、これを取り戻そう。

今日学校では英語教育に力を入れているが、人間として正常に育つには、日本の文化を知ることはもちろんですが、このような田んぼや畑の土に触れ、汗を流すことを体験することにこそ価値がある。もっともっと自然や人間の暮らしについて考える人間を育てたいものです。マスコミに取り上げられることだけが夢ある人生としたくない。

そうした夢実現に向かって歩んで歩を進める進行形がコスモ夢舞台である。もちろんこれを成り立たせることに平行して経済的に自立することを願わないものはない。

これから何が起こるだろうか、それほど期待はしないが注目はしているだろう住民は大切だが、私はそこにだけ焦点を合わせて行動するものではない。また欧州文化首都豊実なんて恐れ多いことである。身の丈にあった受け入れをするだけ。リトアニア、ポルトガル、のアーチスト、ヨーロッパの写真家、エストニアの少女たちが泊まられて活動してくださった。この経験から寒村のこの地を外国人であろうとも心を開いて付き合うような空間にしたいという希望があります。そして細々ながらも、彼女たちとメールのやり取りをしています。

以上、吉田冨久一さんに納得していただける答えとなったかどうかは分かりませんが、私の回答です