2008.03.13
コスモ夢舞台の行方を語り合う1
佐藤賢太郎

夢とは追い続けているときが夢の実現をしているときかもしれない。
   12年前、ふくろう会の同士と一杯飲んで語らう東屋つくりからスタートし美術館、宿泊処、食事処を作ってきた。そして建物だけでなくそれを使って、イベントとしてコンサート、里山アート展、縄文シンポジウムなどを開催してきました。そして景観創りも始まった。それは仲間と共に楽しみ、時にはきつい労働もこなし桃源郷つくりに情熱を傾けてきた歳月でありました。

 一生付き合ってゆこうという、その仲間も一人また一人と退職を迎える時期にもさしかかっている。当然今後の生き方をどうするのか自分で決めなければならないのだろう。人間健康であって、自ら夢をもって、何かをしようと活動できるのは一般的にせいぜい75歳が限界かもしれない。すると私も限られた時間カウントになってきている。

 少し本題かそれます。人にはさまざまな生き方がありますが、退職後平凡でない生き方をしているOKバジと呼ばれている方の紹介を本介して知りました。あるきっかけからネパールに定住し、私利私欲を捨て、生活に困っている人の役に立とうとヘルスポストや学校を建てたり、村の人と語り合い、笑い、次々と村々を歩いているという。「ネパールに惚れた弱みです。村の人にいくばくかの物をあげたかも知れないが、村の人は僕に、魂をくれました」と言う。

 そこまでできなくとも限られた時間の中でカルチャーサークルやお茶飲み談義にとどまらず、バジさんに及ばないにしても、もう一歩汗を流し踏み込んだ生き方を演じる人生劇場の登場人物にしたいものです。青い鳥はどこにいるか、どこか遠くに居るのではない足元に居る、それを発見できるかどうかだと思う。私は60年の人生で、ふくろう会の仲間と出会った、その縁は青い鳥そのものと考えている。

 たとえば田舎では横並びの生き方が定着して常に平均的に生きようとしている。新しいことや他とは違うことをすることを嫌う。何かおすみつきでもあれば認めるがそれ以外は認めようとしない。これは田舎だけのことか、そうでない日本全国どこにでもある風土であろう。

   田舎の活性化というのは新しいアイデア、行動も必要だが人間の心つながりが出来ないと難しいとしみじみ思う。地元の人間だけでは難しい。何にもない動きもないそんなところに縁あったものが役者になってこの舞台で演じてみる。そのことによって動いたら立派な役者になれたと言うことにならないか。演じ方はそれぞれの個性でさまざまある。