2007.06.22
団塊世代の生き方1を読んで

さて、「自分の人生の脚本(団塊世代の生き方1)」はとても考えさせられました。
私も脚本とは、とても的確な表現だと思います。
人生の筋書きも、結局私たちひとりひとりが「どんな生き方をしたいのか」という願望が根底にあるのでしょう。
そのことを考えずに、ただ溢れる情報に一喜一憂し、ただ物質的な満足のみを追い求めるとしたら、その脚本はどうなるのでしょう。

実際、私たちの「人生」という舞台で語られる台詞はすべて自分自身から、湧き出たものばかりです。
なにひとつ、他人に強制された言葉はないのです。
「いま」の世の中は、見方によっては素晴らしいことが溢れています。
人類史上、こんなに恵まれた時代はないのですがそれだけに、感謝することを忘れつつあるようにも思えます。

誰しも50年前の日本に戻れと言われてそれを受け入れる人はいないでしょう。
今のマスコミは、追求しているのは「正義」よりも「経済波及効果」です。
洪水のような情報の中で、より刺激的な報道で、他社より一歩先を行こうとするから、つねに忙しく、うすっぺらな報道に偏ってゆきます。
ですから、「コスモ夢舞台」の目指すところはかならずしも、マスコミの取材対象にはならないのです。
そのことは、決して悪いことばかりではなく、長期の視点で見れば、逆に意味や価値があるのだと思います。

「現代」に不安を抱く人は多いと思います。
毎日の生活で、不平や不満だらけになることもあります。しかし、人類の歴史で、かつて何の問題もなく、すべての点で恵まれていた時代はあったのでしょうか。
過去の歴史に存在しなかった問題が新たに出てくることに私たちは戸惑っているのだと考えます。
それらの問題は、私たちにとって取り組むべき課題となりえますし、課題のある人生は、意味ある人生でもあります。

先日、国際児童基金による興味深い各国調査資料が載っていました。
「15歳の青少年が、どれだけ疎外感をもっているか」オランダ人は、理屈っぽく、反骨精神もあり、自己主張が強いと思われていますが、オランダでは、たった2.6%。
それに比較し、日本の青少年は、世界各国で群を抜いていて29.6%だそうです。
人間、お互いに意見や価値観が多少異なることが当然ですが、日本人はこのことがやや苦手です。
周囲とことなる自分に、過剰反応し、「自分」を飲み込んでしまいがちなのかもしれません。

自分しか、自分自身の人生の脚本が書くひとはいません。
日々、自分が受けたよい刺激を自分の内面に注ぎながら、そして、どんな状況でもそこをスタート地点に定めてゆけばけっこう、人生悪くないのかもしれませんね。(EUジャパンフェスト日本委員会事務局長・古木修治)