2009.9.20
鳥の演劇祭見聞2
佐藤賢太郎

3人によるトークを終え、懇親会に参加することになりました。この会場も木造の校舎で行なわれた。演出家の鈴木さんは多くの方から話しかけられていた。そして県知事も最後まで懇親会に残られて、挨拶を含め多くの方と話し合っていた。懇親会会場にはいろいろな方々が県内外から集まっていました。私もEU・ジャパンフェスト日本委員会から招待された方々とともに参加し、リトアニアで同行されたEU・ジャパンフェスト日本委員会の松澤さんと一緒に、くつろぎのひと時でした。ここでも古木修治さんに知事を紹介していただきました。

先に述べましたが、私はコスモ夢舞台の位置がどこにあるかを考える機会をいただきました。鳥の劇場とコスモ夢舞台は何処が違うのか。何処が共通なのか。何を目指しているのかをまとめてみます。鳥の劇場については間違った認識があるかもしれませんが、私が感じたままの感想です。

1.鳥の劇場のスタートは2006年、コスモ夢舞台のほうが早いたち上げであった。私たちはただ、友と語らう場を作るだけで鳥の劇場のような目的意識があってのスタートではなかった。しかし、コスモ夢舞台の活動は発展的に12年継続しています。

2.鳥の劇場は旧鹿野町にスタッフが住んでいて、一つの目的で劇場を運営、自活している強力なNPO法人である。コスモ夢舞台は地元に住むのではなく、関東から仲間が来て支えてくれている。コスモ夢舞台は自活していません。それぞれが職業もって生活し、主宰の私だけが地元に住んでいるという大きな違いがあります。演劇生活をかけているということではなく、それぞれの特技を生かして参加することによって輝くのです。

3.主宰者の中島さんが核になり理想をもって進んでいるのは、私が核となって理想を実行に移しているコスモ夢舞台と同じです。

4.地方において文化の発信をしようとする意気込み、人間にとって今何が大切なのかを考え、地域に生きた存在になろうとすることも同じです。

5.そのあり方としてコスモ夢舞台は、@里山アート展 A田んぼ夢舞台祭り B食、ビオトープつくり C体験教育 と四つの窓口があります。鳥の劇場が一点であるところとは違います。

6.コスモ夢舞台は仲間との語らいの場を作るところからスタートしました。それは変化しながらも背伸びせず、できるところから夢を描いて前進してきました。今、都市や地方の生き方を考える社会性をもとうとしている。都市に一局集中する時代にあって、都市と田舎の交流共生の模索でもある。それは新しい生き方の提案でもあります。

7.コスモ夢舞台は、まだ使えるものやあるものを生かし、規模は小さくても感動ある生き方を求め、本物を見つめ、一人一人が輝く生き方を目指している。それは廃校利用の鳥の劇場と同じである。私たちは、それによって経済生活を成り立たせるところに至っていないが、今後どのように継続展開できるかという点では、同じ課題を抱えていると感じました。

8.継続可能な大切なことを忘れてはならない。経済活動を優先した閉塞した社会にあって、人々がこころのよりどころにしているのは何か。創造的生き方の大切さを私も言いますが、「個人の権利」や「個人の自由」のような短絡的な自分勝手主義ではいけない。家族を大切にすることや他者への思いやり、感謝の気持ちはが「より善い」働きかけをするものでなければならない。自分勝手では地域社会や集団に受け容れられないだろう。

9.鳥の演劇祭見聞によって、コスモ夢舞台の位置はどこにあるのか、考えさせていただきました。違いもありますが、まさに私たちが進んでいることと課題も同じであると感じました。この歩みはあちこちで芽生えている。しかも規模の大きさを競うのではなく、価値ある生き方が求められ、認識され始めているのでないか。そこに希望と勇気をいただきました。

10.私だけではなく、いろいろなグループがここに集まりました。それぞれの発言はなかったものの、点と点がつながるシンポジウムであったと思いました。我われに刺激を与えてくださるそのつなぎ役の、EU・ジャパンフェスト日本委員会の存在にあらためて感謝いたします。