2006.03.23
佐藤賢太郎
考古学者小林達雄先生との初面会

コスモ夢舞台・縄文館 「蔵・銀河」に多くの複製縄文土器を好意的に貸してくださっている佐藤光義さんから、昨年暮れ「小林先生が豊実にストーンサークルを作ってみたいがどうだろうと言っています」と、興奮気味に電話をくださいました(佐藤光義さんは小林先生と古くから親交のある方です)。

私にはまさかの信じられない話でした。また、なぜ、豊実なんだろう。縄文の世界では、日本はもちろん世界的にも有名な先生が声をかければ、日本全国、どこにだって手を上げて、私のところに造りたいと名乗る候補地は一杯あるだろうに。確かに、私は光義さんのおかげで蔵・銀河オープンの際に小林先生からメッセージをいただきましたが、それ以外には何の面識はないだけに疑問は募るばかりでした。
それに対して、佐藤光義さんからは、「全国にストーンサークルの候補地を探していたがなかなか見つからないときに、コスモ夢舞台創りにも関心を寄せられ、佐藤賢太郎さんが石の彫刻をされていること、新聞の写真を見て、いい候補地であるように感じられた」とのことのようでした。
本当だったらうれしいのですが、最初に思った疑問を払拭できず、一度、直接、お会いして、先生の真意をお聞きしてからですねと光義さんにはお応えしておきました。そういう経緯があって、本日、面会することになりました。

長岡にある新潟県立歴史博物館館長の小林先生のお部屋にお招きいただき、メッセージの御礼と早速、来訪の意図を申し上げました。
私は仲間とコスモ夢舞台を創ってまいりましたが、期せずして縄文に出会い、縄文人の生き方に関心を持ったこと。そこで素人だけで縄文シンポジウムの企画を思い立ち、現代を見つめなおして、生活に生かせるような内容で毎年、継続しようと開催して2回目になります。と今まで私たちがやってきたことをお話しますと、先生は静かにお聞きくださいました。

その後、小林先生はストーンサークルについて説明してくださり、その意義についてもメモ用紙に図を書きながら熱心に話をしてくださいました。まさに贅沢な講義を聴いているような感じでした。

正確でありませんが、私の記憶に残っている先生のお言葉の概要を記述します。「私は土器が何年にどこで……というのも大切だが、それよりもストーンサークルは腹の足しにもならないどころか腹がすくような大変な仕事なのに、なぜ、縄文人はそんな石のモニュメントを造ろうとしたのか。しかも何十年何百年かけてモニュメントを造っていった。そちらの方に関心があるんです。

従って、私達もそのままを真似するのではなく、基本は同じでも佐藤賢太郎さんのセンスを生かして、個性あるストーンサークルを造ってはどうか。今のような効率とかそういうものを考えず、力を合わせ、汗を流し、何世代もかけてつくる。むしろ、すぐに完成してはいけない。継続があるから夢があるし、ああしよう、こうしようと考えるからエネルギーが続くのではないか。継続する中で、いろんな人も参加すると思う。
私も家内からお墓を作らねばと言われているが、今日的な霊園墓地では満足できない。もしストーンサークルができたら、そこに私の骨も埋めたいものだ。いろんな人が集まって、そのときどきに祭りをやればいいじゃないかな」と。

先生に候補地として目に留まったことは大変嬉しく思いましたし、その真意にも納得しました。
しかし、具体的な場所となると、坂道を登ったヘリーポートに使ったところが一番いいと思っていましたので、大きな石を下から運ぶとなると大変な労力が必要で、可能だろうかと心配になりました。
そのことについて、お話しますと、先生は「ストーンサークルの石は地元だけではなく、いろんな村の人が参加している。しかも遠くから運んでいる。縄文人は不合理と思えるようなことも多くしているんですよ」とお話くださいました。

効率、経済、勝ち組、買収、賞金高での評価などが価値として最優先される社会にあって、現代を見つめなおす人間の生き方、それは非効率的なことかもしれないが、日本だけでなく世界中の人たちに一度、立ち止まって考えてみることの大切さを提案することになる。ひいては、どこにもない縄文シンポジウムへと発展するかもしれないと思いました。
ただし、この思いがけないストーンサークルの件は、決定されたものではありません。私たちがコスモ夢舞台で里山アート展や縄文館建設、縄文シンポジウムを実行したことによって夢が与えられたということであります。


先生には、4月中旬以後に豊実にお出でくださるというお約束をいただきました。当然、実行となれば、ストーンサークルとは何なのかを先生にお話していただくことになると思いますが、それもシンポジウムの大きな柱になるでしょう。
佐藤光義さんは「此方からお願いしたのではなく、小林先生自ら
が積極的に来られるということは考えられないことで、これはすごいことなんですよ」と話されました。

どこまで実現するかはわかりませんが、素人ではじめた縄文シンポジウムがまさかこんな展開になるとは思ってもいなかったことです。実行には見えない陰の努力が要るでしょう。でも夢を持って生きることを楽しみましょう。頭だけで考えていても感動は生まれません。

王ジャパンの優勝を見て感動するだけに終わらせず、自らが参加して動いて感動しましょう..。
私はこれからも「七人の侍」を探し続けます。そして、共通に言えることが一つあります。それは私たちが生きるために与えられた時間は決まっているということです。