2007.01.29
100年ぶりの冬

今年は異常な冬である。84歳の母も雪のない冬は経験した事がないと言っている。異常であるが、毎日毎日雪片付けをしなくてとても助かっている。来年のそうなるのだろうか。地球の変化か、何を自然は教えてくれているのだろうか。

1月に春のような鏡の小径にリキと散歩に出かけた。昨日小径の白い木のベンチを置いた。それは春になってお客様がそばを打てっている間に小径の風景を眺めいていただいで待ってもらったら、最高だと思ったからだ。新潟県には村上市というところがあってとても古い文化品が残されて、それを生かし、まちづくりに成功しているという。豊実にはその様な物がない、自然がつくった美をそののままを見せる、これがユニークである。これを売りにすればいい。売れるような夢を考えられる事が大切、他をうらやましがる事はない。

さてリキと小径に行ってベンチに座った。阿賀野川の水は日々変る。冬は深い緑であるが今日は柔らかい緑春を思わせる色になっていた。屏風のようなそびえる荒山の葉真綿のような白い雲がかかっていた。静かな朝、水面はまさに水鏡そのものであった。山や赤い橋を映している。
私は悠然と、そして自然の摂理に学ぶと勝手に里山アートのテーマを決めた。これは自然が私に教えてくれたことだろう。

しかしこの水鏡から何を学ぶのだろうか。まだ応えはでていない。
 自然から学べと多くの先人は言っている。私はまだその答えを出していない。一つ一つ出せたらいい作品、人に訴える文章もつくれるのだろう。教科書はそこにある。都市ではない教科書がある。本を読んだだけでは解らない教科書が。ただそれに気づかないだけである。(佐藤賢太郎)