2007.06.18
団塊世代の生き方1

平均寿命が延び、定年退職後輝き生きるには何をしたらよいか。それが今日的な話題になっている。現代社会は夢もない、おかしなことばかりニュースで毎日知らされている。夢をもって生きるそんな見本が少ない時代である。マスコミがそれを探せないのだろうか。

 市民大学やカルチャー教室に通うことか、それも人それでいいでしょう。旅をする、そんなことは一時のこと、目的も無い旅ではとても続かないだろう。旅とは生きることを考える事だと思う。暇とお金はあるからという物見遊山では退屈でたまらなくなるだろう。

 健康に恵まれ人生80年としてもちゃんとして働きかけながら好奇心を持って動けるのは70歳前半までだろう。すると定年後10年しかない、その10年をどう生きるのか。優勝チームからビリまで決まっているのに消化試合をするような人生では面白くないだろう。死ぬまで現役として夢に立ち向かってゆく、そう私はありたい。

 さて私は11年前より仲間と現代の桃源郷を創ろうと人生を走っている。何もない田舎に、あるものを生かし、自然の豊かさを体感し、アート、歴史に触れ、農業をし、教育の場をつくる、そして人間再生、地域再生を考える。それを全て体験できる空間がコスモ夢舞台。人間が感動するところとしたい一念である。走るだけ走り人生を終わりにしたい。毎年夢が拡大している。仲間と夢を走っているといったが、正確にはみんな同じだとは思っていない。私が勝手に走っているのかもしれない。ありがた迷惑かな。現代の桃源郷などと大きなことを言っているように思っている方もいるだろう。

 現代人が忘れている大切なものを此処で発見できるところ。だから桃源郷といっている。私は教科書も見本も見ない桃源郷つくりをしてきたが、地域再生などの講演を聴講すると今まで自分たちが行ってきたことが正攻法である事がわかってきた。ただ我々はいまのところ有名になっていないので騒がれないだけである。そんなに素晴らしいのなら人がわんさと押し寄せてきそうなものだが、ポツリポツリと人が来て感動の空間の場となっているのも確かである。ただ宣伝もさしてできず、経済効果までに至っていないので話題とならないのかもしれない。

 ところで定年前から仲間としてコスモ夢舞台という現代の桃源郷つくりに参加している御沓一敏さんという方がいる。
この限りある人生に自分も夢を掛けてみようと定年退職と同時に再就職せずコスモ夢舞台動かしに入った。

大方は夢をもって生きてみたいと理想的は言う、しかしそれは酒の肴の話しで終わるのではないかと思う。なぜなら現実に行動をとなるとなかなかできないものだ。まして既成にない道に踏み込むなら尚それは圧倒的に少ないと思う。 コスモ夢舞台は未知の世界だ。世の中に認められた既成の組織には入りやすい。なぜなら既成にない道に入るには生きる創造力が無いと入れない。自分が考えなければならないからである。誰かが考えてくれたところにはいるのは楽である。つまり努力が要るし勇気がいる。高い理想も要る。

 さて仲間の一人御沓一敏さんはコスモ夢舞台の住人として一年のうち半年ぐらい滞在している。私がギリシャでシンポジウムに参加したことを見聞きして、自分もある意味では同じようにコスモ夢舞台つくりシンポジウムに参加しているようだと言っていた。共通しているのだろうと理解している。彼は誰も人が来なかった豊実にふくろう会の仲間で創ったコスモ夢舞台がホンモノの魅力が分かってくれるようになるその過程を見届けたい。それが楽しみだと言っている。人気が出て人がやってきてから通うのではなくて、今、立ち上げるときに自分はかかわりたいという事だ。

それにしてもまだコスモ夢舞台の和彩館に訪れる方はまだ少ない。試行錯誤しながら私はコスモ夢舞台を運営している。何せゆとりも資金も当てにならない中で夢を創ろうとしている。彼はその心配もしていただいているが、共に暮らすということの難しさは何といっても人間関係だろう。家内にしたって夢舞台つくりの中で私とぶつかってしまい、勝手にすればなどと言われる。夫婦にしたってよりよい人生の理想をつくりたいと思うのは同じだが、よく感情のすれ違いが起こる。コスモ夢舞台は労働しない日は無い、御沓一敏さんはどちらかという得意でない肉体作業も大変だろうが一緒に暮らす人間関係の難しさもあると思う。しかし私も相手もそれを超えられなければ夢舞台は実現できないだろと思う。

夏目漱石は草枕のなかで言っている。「山路を登りながらこう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させばながされる。意地を通せば窮屈だ。」人間何処に行っても100パーセント意識が同じなんてない。大切なところで一部共有できるところが在ればそれでいい、だから余り真面目すぎてもだめ。いい加減さが必要だと思う。このコスモ夢舞台が此処まで来るにはそれこそ性格の違う個性のある方ばかりが集ってできた。一つの性格、一つの技能だけではできなかった。右から左人さまざまあってできたし、実現された。
 だから私はコスモ夢舞台つくりには高い理想が必要だが時としていいかげんさ、受け入れる力、そして総合力が必要だと思っている。

 ともかく御沓一敏さんは元気なうち自分の人生という与えられた舞台を物語とした脚本のなかで登場していると思う。
我々団塊の世代がどう生きるか話題となっている。どれだけの人が未知の世界に挑戦することができるのだろうか。(佐藤賢太郎)