2011.01.26
単純明快に生きる1
佐藤賢太郎

ホームページは不特定多数の方に見ていただくわけですが、これから書く言葉は友や仲間に話しかける言葉であります。いつものことですが、私は上手な文章は書けませんが、懸命に生きる思いは伝えたいと思う。また、考え、書くということは生きるということである。作品を作ることとも同じであると思う。

昨年暮れ、私は友人からいただいたある一冊の本から自分の命に関わるような選択をしました。川竹文夫さんの著書である。彼は「いのち田圃」という本を編集している。それを私は取り寄せて読んでいる。その中に単純明快に生きると言う文章がある。それを読みながら自分の人生を省みたいと思い書くことにした。

その1.人生は好きなことのためにある。

なんだか利己主義のようなタイトルである。そして「人生は短い」が見出しであった。嫌なことを無理して続けているときほど、苦痛な時間はない。

人生は長くない。川竹文夫さんは、好きなことだけをして生きることにしているという。世の中には「こんなこと、誰もやりたくてやっているわけじゃない」仕方がないからやっている。そんなに嫌なら止めればいいじゃないかと密かに思っていると書いている。さらに嫌だと言いながら実はそれが好きだから選んでいるのでないかとも言っている。

 面白い指摘だと思った。家庭のため、何々のため、私は自由に生きられない環境にあるとよく聞く。実はそれは嫌と言いながらも、その生き方が好きで、自分は選択しているのでないかと言うことである。

私は教職をやめて彫刻家の道を選んだ。何の保証もなかった。ただそのとき「人生は一回きりだ」、そう感じたから何の将来性もない道を選択しました。ただ石が彫りたくて、ただ彫刻家として好きなことをしながら生きてみたい、それだけでした。子供がいないから選択できたのだろうと言う方もいる。そうかもしれない。しかし同じ立場の人がその選択をするとは限らないと確信する。

私は修行途中、独立後も、ずいぶん後悔の念に駆られた日々もあった。今も、明日はわからない経済状況の彫刻家の生活。しかし、25年間そうして生活してまいりました。親や多くの友人にも支えられてのことはいうまでもありません。

勿論、今はそうしてよかったと思う。そのうちにと言っているうちに人生の幕は閉じられるかもしれない。人生は短い、その言葉は私には一段と身近に感じられるようになりました。