2009.01.03
冬の景色2
佐藤賢太郎

日本人の信仰、日本人は宗派に拘らず正月に神社におまいりに参ります。明治神宮などは何万人と押しかけるのでしょうか。ほとんどの方はいわゆる信仰心などない方だと思います。正月だからお参りをするということのようです。なぜ行くか。それは今年一年健康でありますように、平和でありますように、商売繁盛でありますようにその他自分の希望が達成したいそんな祈願を神様にお願いする為でしょう。日ごろの行いはどうでもよくと言ったら言いすぎでしょうがその日だけ心を清めようとするのでしょうか。

私の村でも元旦に山の神神社に村の人が参拝いたします。区長さんを先頭に「今年も村人が健康で安全、安心に暮せますように」と神殿に向かい2礼2杯致します。そしてお神酒を飲みます。これが村の祈願祭です。それから後日春祭りは神主様を迎えて村人が同神社にて同じ目的で祈願を致します。

仏教やキリスト教やイスラム教などのように教義などのように一切ありません、あるとすれば自然崇拝なのです。八百万の神にお願いすると言う単純なものです。特定の信者以外、日本人には信仰心がないのか。そうでなくあの明治神宮に参拝する人々も信仰心があるのでしょう。それは遠く縄文人から受け継ぐ心があるのでないかと思います。自然崇拝とは自然の摂理に敬い、感謝して、畏れ、心を清めると言うことなのでしょうか。祈願をかなえてもらうにはこの清らかな心を持ち続けることが大切のように思います。ただ一般的には元旦にだけしかその心が衰退して芽生えないことなのでしょうか。私なども衰退した現代の一人でありましょう。我が家は曹同宗の檀家になっておりますが特に決め事などはないくらいです。一方正月の三が日、神棚に朝晩ご飯を上げること面倒なことと母に言ってしまうその程度なのです。そのくせ彼方此方が痛い、医者や薬でも治らないとなると神頼みしかないのです。不自由になって痛い思いをして神頼みをする。
   自然信仰心はやはり縄文人なのでしょうか。なかなか学び取れない私です。