2008.01.08
冬のリズム

雪が降る季節になると春までお客さまは来なくなり和彩館は静かになる。私はリキと歩いて仕事場に行く。そんなある日雪が積もる家の周囲に一匹の狸の子はうろうろしていた。よく見れば半分毛が抜けている。聞くところによれば狸は冬眠するそうだがどうして出てきたのか。餓死しそうなので、かわいそうで油揚げを土蔵の前に置いておくとそれを食べたようだ。しかし数日前にその狸は土蔵の前で眠るようにして死んでいた。

さて私は冬の時間が取れる季節に入り、奥会津書房の刊行本、会津学1を読み始めた。奥会津の暮らしを語られていた。冬は雪に閉ざされて外仕事ができないので、ものを書いたり考えたりする時間が冬であるとあったが、まさにそんな心境に私もなる。

年々歳々消えゆこうとする奥会津に根ざした生活文化をまとめている書を読みながら、私が幼いころ私の村でも行われていた歳時を思い起こす。それは全国書店に並ぶベストセラーのようなものでは決してない。地味である。聞き語りである。それをまとめて会津学までしている、そのことの価値観と素晴らしさを感じる。私は今までなかなか続けて読むことできなった。余りにも珍しくない昔の生活風物に関心が向かなかった。それが都会暮らしから田舎暮らしの2年目になってようやく読みこみ始めた。

奥会津書房は書によって価値ある存在感を示している。また福島の会津の周りにも勇気や希望を与えていると思う。
   時間というものは少しずつ私にも変化を与えてくるのだろうと思う。その一つに初めて正月に母と家内3人でお参りはしごをした。

今年はねずみ年、私の生まれた十二支の歳ということもあり近くのお宮参りをしようと家内が言う。
   まず西会津の鳥追い観音と言う神社である。ころり観音の一つと言う。死ぬとき苦しまないで迷惑をかけないでコロリト逝く、そのようになりたいと拝みに逝くようである。こんなに大きな神社がここにあったのかと感心した。その次は柳津町にある有名なこく蔵様、京都の清水寺のようなつくりである。ここは牛の守り神、家内の守り神、それもあってお守りを買った。そして阪下町にある心清水八幡宮、ここはイノシシ年の守り神の神社、母の生まれた年である。そして最後私のねずみ年の守り神、会津塔寺立木観音に立ち寄った。お守りと数珠を買って帰った。母は4箇所もいっぺんでお前たちとお参りができるとは思わなかったといってとても喜んでくれた。それも階段あり雪もあるそんなところを歩いての事であった。

  今さらこんな大きな神社が一杯あることに驚いてしまう。どうしてこんな大きい神社を昔の人は作ったのだろう。私は、神社参りもみんな気休め、お参り程度にしか感じていなかった。しかし人間には見えない、わからないことが多くあって、その上に生かされているのだろうそれは確かである。(佐藤賢太郎)