2008.06.27
宝探し

父がなくなり土地相続のこともあり、我が家の土地はどことどこなのか調べる必要になってきた。毎年くる固定資産税一らを見ると100筆近くある。コウセイズを取り寄せ一箇所づつ調べている。地目が田圃となっているのに田圃の形跡はなく現在は原野になっている。

我が家の土地だけでなく多くの家もそのようなところが多い。それらを歩きながら調べていると強く感じるのは、こんなところまでよくぞ先祖たちは田圃にしたものだとただただ驚くばかりである。急な斜面、道なき道を如何して米を作っていたのか。先祖たちは、鍬スキを担いで澤を渡り、あるいはがけを上り、澤のある水の出るところならどこにでも田圃にしていた。

食べるということは生き物にとって命を繋ぐということである。日本人は弥生時代以来米がいかに優秀な食であるかを解かって米を作ること執着してきた。当然そこに土地の所有争いも起こったのだろう。だからこそ以来近年まで田圃つくりに努力をしてきたように思える。澤のないところを田圃にする。これは江戸時代以来新田開発ということで田んぼを作ってきたと思う。この水路つくりについて老人から聞いた。夜水路を作ったという。「えっ」と驚く。如何して見えない夜なんか工事にするのだろう。それも道なきみちを。聞けば夜ちょうちんを灯し水平を見て落差を決め水路を作ったという。伊能忠敬が日本地図を作成したのはものすごい。そして水路もそうだと思った。。

さて我が家の先祖が作った田圃がどこにあるかそれを探すのは宝探しのように思えてきた。そこに金はないが先祖の生き方が記されている。そしてそこをどのように使うか、その使い方によっては宝になるのだと思う。だから宝探しと命名しました。私はどうしようもないと思える土地を宝にします。あなたも宝探しに参加してみませんか。(佐藤賢太郎)